河合隼雄『子どもの宇宙』

を、読みました。

岩波黄版ってなかなか読まないのが何故かわかりませんが(うちにあるのはこれと『翻訳語成立事情』)なんとなく80年代の学術界の不毛さを言い当てているのか、単なる刊行点数の少なさに起因するのか。

そんな話はさておくとして、本書では著者の得意分野である児童文学と箱庭療法の豊富な実例を交えながら、いかに子どもたちが日々広範なことを考えているか、それがいかに大人たちの考えている以上に深いものかが説かれています。

特にP子の症例は、本書を読んでいただきたいのですが、子どもたちの思考が必ずしも言葉に頼っていない、思考などというものは言葉で表わされる範疇にしか無いのだというような了見の狭い「哲学」を吹き飛ばすような広さと深さを持っていることを教えてくれます。拙い言葉だからといって、あるいは説明がまったく意味が取れないからといって、字面で判断するのではなく、彼/彼女が一生懸命に表現しようとしていることそのことにまずは寄り添うこと、そうすることで言葉以外の何かのきっかけで答えが見つかるかもしれないし、答えが見つからないということに子どもともども納得できるかもしれません。

こういう精神療法の症例というのはよくできた小説を読んでいるようです。人間関係を人間関係によって修復するその過程は、小さき、弱き存在が他者への信頼を獲得していく、人間の最もフラジャイルでベーシックな活動の有様を目撃しているようです。近頃はもうあんまり「心理学」とか「精神医学」への期待も以前のインフレからは脱していると思いますが、薬よりも人間の自己治癒力というか、常に人間は良くなろうとしているのだ、という信念をもう一度思い出したいものです。

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