ザミャーチン『われら』

を、読みました。

その名もズバリ、アンチユートピア小説であり、ソ連体制の風刺、ということです。

われわれ──Мы、というのはロシア語初学者が必ず最初に出合う人称代名詞であり、「三人姉妹」などとともに初級者でもすぐに分かるロシア語文学の題名としてよく紹介されます。ロシア語の人称には「あなた」「君」の二つの大きな使い分けがあって、相手をそのどちらで呼ぶのかによって関係性が色分けされるという、日本語にもちょっと似たところがあります。本書の中にもやはり「トゥイ=君、お前」と呼びたい心持ちのようなものも出てきます。

題名の「われら」は結局レムの海に似ていて、人称の総体が一つの人称になっている状態を言っています。これもまた会社を「うち」などと呼んでしまう(それこそ)我々にとってはあまり笑えない状態であることは確かで、色々なテクノロジーが発達し人を隅々まで管理したがる、できてしまうこの今の現状は、筆者がソ連を憂いた100年前と何ら変わっていないのが実情というものなのでしょう。

それにしても気軽に飛行機に乗ったり、初期ジブリ的な仕掛けがあったり、宇宙に行ってしまったり、その突き抜けた想像力はまったく色あせずに現代文学としての地位を確固としたものにする源泉です。

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