決定版三島由紀夫全集第8巻

を、読みました(連休中なのでハイペースです)。

所収は「宴のあと」「お嬢さん」「獣の戯れ」。

「宴のあと」は作品よりもプライバシーの権利、モデル小説の是非をめぐって裁判沙汰になったということで有名な作品ですが、かえってそれは日本の裁判史上も不幸なことであった三島は述懐しています。下の言葉は氏の芸術にかける意気込みというか、一つの作品を作り上げ世に問うていく真摯な姿というのがとても良く感じられます。こういうことをあえてちゃんと言う三島というのはちょっと意外なくらいです。

もしこれが、市井の一私人が、低俗な言論の暴力によつて私事をあばかれたケースであつたとしたら、プライバシーなる新しい法理念は、どんなに明確な形で人々の心にしみ入り、かつ法理論的に健全な育成を見たことであろう。原告被告双方にとつて、この事件は、プライバシーの権利なるものを、社会的名声と私事、芸術作品の文化財的価値とその批評的側面などの、様々な微妙な領域の諸問題へまぎれ込ませてしまつた不幸な事件であつたといふ他はない。(『宴のあと』事件の終末)

いまこうして作品として読めば、俗悪な覗き見主義など一つもないことに気がつかされるはずなのですが、モデルとなった政治家の逝去によって和解となった裁判の経緯もあり、なんとなく文学史的にはモヤモヤとした作品です(一方的なスキャンダラスな印象とのギャップ含めて)。「文学史的に」という言い方も我ながらどうかと思うんですが。

「お嬢さん」は新婚夫婦の活劇。若奥さんが自ら生み出した故のない嫉妬心に心蝕まれる様子が活写されています。まあこういうのはいつの時代も変わらないものです。全自動洗濯機やカラーテレビやインターネットが発明されても、人間の心の動き方はそうそう変わらないものなのでしょう。三島の現代小説はほとんどが映画化されていますが、「お嬢さん」も若尾文子でなされているのでどこがでこう……気軽に見られるものではないんでしょうか。

「獣の戯れ」は、なんともたまらない作品でした。読み応えのある、ゴリゴリの純文学です。三島による「罪と罰」と言ってしまえば簡単な紹介にはなると思いますが、凶器となったスパナの描写、作中での登場のしかたが、あまりにも本家「罪と罰」の斧と通ずるものがあるので余計にそう感じました。風光明媚な伊豆を舞台にしながら、中心となる三人の登場人物が出口を見出せずに自滅していく様子は、読みながら本当に息苦しいです。「潮騒」「金閣寺」など代表作の一つとしてもっと読まれてもいい作品のようにも思いました。写真に始まり写真に終わる構成もなかなか小説的な仕掛け満載で、それ相当の本読みにも耐えうる強度を十分に備えていると思います。

それにしても優子のような肉感的な年増女の描写が三島は上手い……。

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