いいから手を動かすんだ、ジョニー

心が弱っていると本当に威勢だけの掛け声にころっと騙されてしまう。それで何が解決されるわけでもない。何も解決はされない。ただ、無駄な時間をかけて、それが無駄であったと薄ら薄ら分かりながら、結局それは無駄だったと悟るだけ。何がダメなのだろうか? 定期的にやって来るこの愁訴を飼い慣らすには、どうしたらよい? 克服はできないかもしれない。考えても無駄なことをうつらうつら考えてしまうことで人生の大半の時間を過ごしてしまうのであれば、いや少なくとも、ぼくの二十代というのはそういう無駄さで溢れていた。二十代まではそれでもいいかもしれない。まだ「無駄もかえって有益なことだってあるさ」と優しい先輩が声をかけてくれるかもしれない。しかしその三十代の先輩とやらが、家に帰ってくだらんことにああでもないこうでもないと頭を壁にぶつけていたら、それはイカンじゃないですか。もっと直接的に、自分の言葉で、訴えていかなければならない。自分がコントロールするのだという敢えての全能感を引き受けることだって必要かもしれない。根拠の無い自信に対して定義付けを迫ってくる輩に対してはハッキリと闘わなければならないのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA