話題沸騰中の鷗外記念館に

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行ってきました。ポスターもいまなら付いてきます。

展示スペースは本当に方寸という感じでしたが、レプリカも混じりながらも興味深い一次資料が展示されていました。
いろいろと企画展も今後やっていくみたいなので定期的に足を運んでみたいかもと思いました。

例によって上映VTRで平野啓一郎がいろいろとしゃべっているのも見られます。

曰く、漱石に比べて圧倒的に人気がない鷗外。でもヒロイックな登場人物が努力をする尊さもわかるが、鷗外の描いているのは、そうする以外どうしようもない状況に陥っている人間の姿、自分ではどうしようもないことも世の中にはあるのだという「諦念」である、と。そして震災後にあらためて読み返すと、そういうどうしようもない運命に対する人間の知恵が癒しを与えてくるという。

「諦念」の一概念で作家の作品を縦櫛にできるかどうかはわかりませんけど、従来のように「歴史其儘」「歴史離れ」とか「知足」とか「ドイツ土産三部作」とか個別のキーワードで読み解く国語教科書的な読みではなくて、鷗外がその文学活動を通じて何を表現したかったのかという問いの置き方は、結構見て見ぬふりをしてきたものかもしれません。

つまりは、鷗外の場合一つ一つの作品が巨大すぎて、通覧という視点に立つのがなかなか難しいので個別の作品論をやっつけて?外をあたかも語ったかのように錯覚してしまうのはままあることかもしれません。
そうではなくて、鷗外全集を通読したときに「ああ、この一人の作家は生涯こいつを追求していたのだな」と腑に落ちるものを見つけられるかどうか、ということなんでしょうね。

そういう意味で、やはり再読三読、読み尽くせない作家であることには間違いないのだと思います。

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