日記、引き続きメモ

はっと気がつけば残業時間が三桁目前にはなっているものの、なんども繰り返すように全体像が一向につかめないカフカ的状況の中で日々手を動かしているため、この速度感は引き続き持ち越されるのではないかというのが正直な感想である。そして、さすがに「若さで乗りきれるのも今年くらい」だとさすがに今年は本当に思うので、まあそういうのも含めてちゃんと記録しておこう。会社で配られたメンタルヘルス対策の冊子にはブログを書くことが推奨されていたから、たぶん、バレでも大丈夫なはず。

別にぐちが言いたいわけではない。同じような状況はどの場所にいても必ず巡ってくるものだし、今が今までで一番しんどいかと言われればそれはさすがに「ノオ」である。もっとひどいときはいくらでもあった。

では何がこれまでと違うのだろうか? それはまず間違いなく、この状況自体に疑問が持たれるか持たれないかであろう。あるいは、もたれないことを前提としてある部分の人々は全体の人々を処する。救いがない、とは言わない。意識が高くて結構ですね、と揶揄するつもりもない。今のところこの長距離重量級マラソンについていけるだけの体力と知力とは持ち合わせているつもりだけれど、いったいこれが46キロという規定の距離に基づいたものなのかがわからないのだ。ゴールがわからない競争はペース配分がわからない。

したがって人々は常に既に全力である。

ここには巧妙な人事的・文化的・組織的狡猾さがかならず密かでいるはずだ。ある個人が特別オカシイわけではない。ちょっとずつの「今だけだから頑張ろうよ」「今週頑張ったら飲みに行こうよ」が、いつの間にかものすごく巨大な暴力の動力源となっているのを見逃さずにいられるか?

++++++++++++++++++++++

・速く歩くこと
・背筋を伸ばすこと
・慌てないこと(あきらめること)
・お風呂には速く入ってしまうこと

++++++++++++++++++++++

自己イメージはけっして自ら把握できない。
自己イメージを見ようとすること自体ナンセンスである。自分の足の裏を眺めようとしてすっ転びたくなければ、他人から自分がどう見えるかとか、自分を他人にどう見せたいかとかそんな下らないことには一秒も頭を使ってはいけない。
思ったとおりにわめくしか無い。わめけばいいんだ。何が悪い?

++++++++++++++++++++++

「福島でおいしい野菜が取れました」というのは単なるイメージだけど、それを電車内の電子広告で県が宣伝しているというのは立派な一つの「情報」だろう。

++++++++++++++++++++++

明日の為にさっさと寝る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA