鴨長明『発心集』

を、読みました。方丈記にも火事の話は出てきますが、仏教説話集である発心集にも天災から人災まで様々な災いが登場します。鴨長明という人はやっぱりどうしようもない運命に翻弄されながらも行き着くところにはみんな行き着くんだよ、その場所があんたの求めていた場所なんだよ、ということを繰り返し色々なエピソードを交えながらうったえているように読めた。かといってそんなに説教臭くない。なんかこんな変な成り行きになった人がいたけどまあいいよね、というちょっと解釈の余裕を持たせてくれている説話もたくさん入っています。割りと平易な古文なので、高校生位からでもごりごり読み込めていけそう。

しかしなんといっても、震災後の今となっては「武州入間河沈水の事」に描かれる大水の描写がなんとも生々しく感じてしまう。

かかる間に、さるべき仏神の助けにや、思いの外に浅き所にかきつきて、そこにてくちなわをば、かたはしより取りて放ちてげる。とばかり力休むる程に、東白みぬれば、山をしるべにて、かろうじて地に著きにけり。船求めて、まず浜の方へ行きて見るに、すべて目を当てられず。浪にうち破られたる家ども、算を打ち散らせるが如し。汀に打ち寄せられたる男女・馬牛の類い、数も知らず。
其の中に、官首が妻子どもをはじめてとして、我が家の者ども十七人、ひとり失せでありけり。泣く泣く家の方に行きて、見れば、三十余町白河原になりて、跡だになし。多かりし在家、たくわえ置きたる物、朝夕よびつかえし奴、一夜の内にほろび失せぬ。


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