仕事納めにはまだ早いが内省の辞をば。

仕事の大きな山を越えました。年が明けたらまた一山登らないといけないのだけれど、年内は後そのためのスケジュールを考えることくらいで仕事納めになりそうです。

忙しい時ほど、自分がなんなのかを失わないようにするために自分について考えることが多いような気がします。反射的な対人反応を繰り返していると、本当に自分が何処かへ消えていってしまいそうで、よく会社の行き帰りに携帯電話のメモ機能を使って自分に問いかけるような文言をぽちぽちと打ち込んだりしては、たまにそれを読み返す、なんてこともしていました。

そういうのは、たぶんやろうと思ってやることではなくて、やらざるを得ない時に人は、勝手に手を動かているのだと思います。自己防衛本能みたいなものでしょうか。

長い時間を会社で過ごしていると、一人の時間というのはほんとうに少ないものです。たとえ一人で机に座っていても、いつ誰に呼ばれるかわからない、いつ無茶苦茶な要求を突きつけてくる電話が鳴るとも限りません。

例えば定時になって電話も鳴らなくなって、周りの人達も三々五々帰っていって、そろそろお腹もすいてくる……なんていうときになって初めて自分一人の作業に没頭できます。

もちろんこういった時間の使い方は無駄と言う人もあるでしょう。いかに定時内で集中するかが問題なのであって、日本のホワイトカラーの生産性の低さ、なんてどこかで聞いたような話を振りかざされれば、ぐうの音も出ないことは否めません。

以前の職場は室内でも横のつながりが多く、ちょっと悩んだら色々と聞いて回ったりちょっと会議室にこもって少人数でブレストをやったりというのは簡単にできたものです。今は割と他部署との協業が大きくて、いかに迷惑をかけずに=現場業務担当部署に時間をかけさせずにひとつの仕事を仕上げていくという方が優先されます。

これは職場環境や組織体制の違いによるところが大きいのでどちらが良いとも悪いとも言えません。

ただ、遠廻りこそが近道、ある程度の時間をかけなければブレイクスルーポイントは訪れない、という経験則からも一人でじっくり考える時間というのはどうしても必要です。一人で考えるというのはどういう事かというと、あらゆる想定質問を自分に投げかけるということです。自分がやろうとしていることに対してツッコミを容赦なく入れていき、それに対して一つ一つ答えていくということを独りでやるということなのです。

そういう時、「この人ならこう言うだろう」というパターンをいくつもストックしている事が必要です。私にも仕事のやり方とか、人への説明の仕方とか色々真似をしてみたい人というのはいて、そういうサンプルを普段から収集しておき、いざという時に自分に向かって「これでどうだ、これでどうだ」と追い立てるために呼び起こします。

逆説的なようですが、そういう時に自分のオリジナルをちゃんと保っていないとまったく対話にならないです。自分はこう考えるけど、こういう考え方もある、その違いはこうでこうで、こういう場合はたしかに有効だけど、今はそんなことを行っている場合じゃない……ということを一つ一つクリアにしていく。その過程で、鍛錬される、前景として浮上してくる、ノミを穿つことによって現れてくる彫刻がまるで石の中に最初から眠っていたかと見紛うばかりの「自分」の形というものが、スタイルが、立ち現れてくるように思います。

このブログも、ブログを書くことによって同じようなことを実現できる場所にしていきたいと思っています。自分が何に感動し、何を許せなくて、なにをしてきたのか、すべきなのか。そういうことをちゃんと記録しておかないと、と、なんとなく年末が近づいてくると妙に内省的になってくるものです。 

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