相変わらず…

 囚われる、捕らわれる。自分に、自分を流れる時間に。流れ去っていった時間の多さに、その多さを感じてしまう自分に。同語反復から、反復横跳びして、さらに先へ、進むのであれば、進んでいない自分の姿をとくと目に焼き付けておくのだ。

振り返る、振り返らない? さっきすれ違った人影を追うようにして、いや「ようにして」なんて比喩を使わないで、階段を逆走する、実際に。ぼくはぼく自身の影とすれ違ったのだ、というのがそもそもの勘違いだったかもしれない。

けれど、出来ることはやればいいし、究極を言えばできないことはできない。ただそれを言うには、その影に向かって言い切る、にはまだ早すぎると思っている。ただ、おそらくは死ぬまでぼくは同じことを言い続けているのだろう。その予感のためだけで、ぼくはもう少しだけこうやって自分自身を文字に起こすという深夜の愉楽──揺籃の中に身を横たえたいと思う。

すこしばかりのコーヒーが、指を動かす、なんてことはよくあるし静かすぎるこのホワイトキューブの中で、たとえば銀河系の壁紙の中に浮かぶ白い空隙に向かって文字を打ち込み続ける……なんてあまりにも使い古された(あるいは、正直なところ辟易するギークさに)マジョリティーに対するあてつけに、それ以上ぼくは歩みをすすめることをためらう。

勇気、というのが盲目的なものであるならば、必要ないのだ。

同じ場所に居続けることも怖いものだが、問題は視線だ。パースペクディヴの角度だ。下を向いていたぼくは過ぎ去る人影にうっかり目を捉えられ、自分を見失う。それで良かったはずだ。ぼくたちはまず一度、自分を抹消する必要があるし、そのことの喜びを生きることの初元として設定しなければならない。──なんてことを言い聞かせた結果、ときどきぼくは我に返る。「我に返る」文字通りに。

変化、は思い通りには行かないものだ。思い通りに行くものは変化などとは呼ばないだろう。それでも自分の力で変わりたいと相変わらずぼくたちは前を向けずにいる。

もちろんそれを悪いこととは思わない、いまだに。


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