スーザン・ソンタグが好き過ぎて

リベラルということを生涯貫き通した思想家。9.11以降その発言からナショナリズム吹き荒れるアメリカ国内ではだいぶ顰蹙を買ったそうですが、正しいことだけを、あるいは人々を勇気づけることだけを言い続けた稀有な思想家、スーザン・ソンタグ。

邦訳で既刊の著書はほぼ全て読みつくし、そういえば分厚い小説も書いていたな、なんてことで、『火山に恋して』をようやく読み終えました。

ヴェスヴィオを何かの象徴に据えながら三人の歴史的人物のロマンスを描いた、訳者あとがきにあるように「どうしてソンタグがこのモチーフで小説をものさなければならなかったのか?」と首をひねってしまうほど本格的な評伝にも仕上がっています。

オークションで始まる冒頭は『オペラ座の怪人』にも似た大きなドラマ始まりを予感させる。そして次第にぼくたちはそこで語られるヴェスヴィオが、三島由紀夫の金閣寺のようにも読めてきます(作中にも金閣寺が言及される箇所が一箇所ありました)。最後には『藪の中』のようにそれぞれ三人称で語られてきた人物たちが独白を始める。人物との距離が急に肉薄する。そして最終章に唐突に登場するエレオノーラ(ナポリの革命家らしい)の独白は、まるでソンタグが描写の後ろに寝ていられずにマイクを奪い去って高らかに演説をぶちあげているかのよう。

構成の緩さはあるのでコラージュのように、CDを聞くみたいにして読んでいくと楽しめるのではないかな。あまり海外の小説は読まないのですが、十分に楽しめました。登場する人物たちの交歓は史実らしいので、イタリア史とか勉強すればもう少し解釈の幅も広がるかもしれません。

スーザン・ソンタグについてはなにを置いても『良心の領界』の序文「若い読者へのアドバイス」でノックアウトされてからぼくの中の「全著作を読むべき作家」のリストにランクインしました。多くの人が同じことを思っているようなので、検索してみれば短い文章なのでどこかにあるかもしれません。

言葉を信じることができるというのは素晴らしいことだと思う。ぼくたちはたとえば会社の中で、相手の言ったことを疑い続けることに馴らされすぎています。好きな作家をただただ読むことの幸福は、言葉への全幅の信頼という揺籃に身をあずけることの快楽なのかもしれません。

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