ツイッターって頭悪くなるよね、たぶん。

ツイッターをやり始めると本当にブログを書かなくなる。と、さすがに思い始めて投稿ページを久しぶりに開いてみた。ここのところ仕事も忙しかったのであまりまとまった思考というのが出来ていなかった、なんていうのはかなりの言い訳で、やっぱりちゃんとものを書いてそれを残しておこうと、一抹でも思う人間はツイッター中毒になるよりもちゃんとブログを書くようにした方がいい。あれだ、ジンタンの言うとおり不登校と一緒で、一日書かなくなると一日くらいいっかー、となってそれが積み重なって最後は書かなくなる。

別に毎日ブログを書くというのが偉いというわけではないのだけれど、ツイッターというたった140字の「つぶやき」というのは最初からコミュニケーションを放棄しているような気がして、もちろんそういう面もあるし、それは否定しないし非難もしないけれど、これに慣れてしまう自分というのが一番怖い。形式に中身が合わせてしまう感じ。もはや脳内が140字でしか思考できない感じ。はなから1000字くらいのメッセージかあって、それをなんとか140字に押しこんで「これで伝わるかな?」なんていうのはOKだと思う。よくある入試問題の「40字以内で答えよ」に似た要約のための頭を使わないといけない。でも最初から140字に合わせたことしか考えられなくなると、なんだかそれって人間なのか? って気もする。まあ、なんかそういったことが怖くなってきたのでしばらく意識的にブログに顔を出そうと思っています。

一方で、紙に手で書く日記帳というのがぼくにはあって、これは中学三年くらいからつけ続けていて途中五年くらいブランクがあったりするんだけど、けっこうこっちも熱心に書いていたりします。昔ほど、自己顕示に興味がなくなったということなのか。けっこう環境に大きな変化があると人って急にブログを書かなくなくなったりするものなのだけど、やっぱり定点観測的にその時々のことを記録しておく乗って後で読み返したときに楽しい。なるべくなら、その時々で一生懸命だった自分の姿とか、一生懸命何かを考えた結果とかプロセスを残しておけるといい。

その意味では、むかし卒業論文を書いていたときにメモがわりに(その頃はブログなんて使っていなかったけれど)、その日その日に考えたことを書き連ねて、自分のホームページにアップロードしていた時がある。わからないところはわからないとちゃんと書いて、あとでちゃんと調べて、前にあった思い込みは訂正しながらいろいろと書き連ねていったのはすごく楽しかった。あの感覚を取り戻したいなとは思っている。

なんであれ、自分を創り上げていくということにもう少し自覚的に関わりたいという気もする。外乱要素は日々たくさんあるけれど、それを受け止めるのは自分だし、自分で咀嚼した結果が明日の自分になる。「スタイル」なんてことをずいぶん前に色々と考えていたけど、最近大学生の頃に考えていたことって未だにライフワーク的につきまとうもんだなと、あるいは自分の考えていることなんて全然進歩しないんだな、と、あるいは自分が抱えてしまったこの「問い」については一生かけて探求していく価値は十分あるんだな、と考えたりしている。

長々と書きましたが、このエントリーが自分にとって少しでもリスタート的な、仕切り直し的な意味を持ってくれればいいな。気軽にね、カジュアルにね、どんどん書いていったらいいんだよ。こうやって長々と。そうすると書き出しで考えていたことと、今こうしてキーボードを打っている時とでずいぶん違う感覚になっているから。

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