100パーセントの少女漫画『君に届け』

と、急にハルキ的になっても仕方がないのだけれど、もう、そうとしか表現できない作品。

個人的には『ハチミツとクローバー』以来、岩本ナオと並ぶ衝撃でした。物語は、なんということはない、超王道シンデレラストーリーである。にもかかわらず、どうして、こんなにもこの作品は読者を引きつけるのか。

あえての古典回帰、という文脈でもない。

ノスタルジーでもない。

これは素直に、ただ、単純に、ぼくたちが少女漫画を読むということの経験を思い出させてくれてているのだと思う。二人がつきあい始めるまでに10巻を費やす。それこそが、少女漫画ではなかったか。「君に届」かない、それこそが少女漫画の出発点ではなかったか。届けたふりをして、届いたふりをする。そしてそれから泥沼の物語が始まる、そういうあえて枠を外した作品が多い中で、この作品はなんの種も仕掛けもなく「君に届」かない物語を開陳してくる、清々しいくらいに。

綿密な描写は、物語の目新しさなどなんの価値もないと思わせる。ただただ詩的精神に溢れる。一巻に一度は、あるいは一話に一度は泣かせる場面が出てくる。そんな評をよく聞く。ここにはなんの誇張もない。

爽子はかつてのぼくたちであったし、今もぼくたちの心の底にいる。だからこそ、それを濃縮還元した彼女の姿がいちいち自分に跳ね返ってくる。もう、今ではすっかり錆びてしまったエラン・ビタールが、拡大鏡を通して眼に迫って来る。カリカチュアとは言わないが、漫画の面白さとは、そもそも此処にあったのではないか。

王道を極めるとは、一縷の隙もない100パーセントを、あるいはそれを越えるということだ。王道とは、万人が通ることのできる道だ。それをしっかりとの丁寧に整備して心の奥底にまで導いてくれるこの作品は、正統派を指向しながらも力量の無さからか畸形に陥っていく昨今の潮流の中で、全く毅然たる立ち姿を見せている。

何一つ欠けたところのない、100パーセントの少女漫画。いつの時代にも、いつの世代にもそういう傑作が突如として現れ人びとに記憶される。間違いなく『君に届け』は2010年代を生きるぼくたちの読める最大の幸福の一つだ。

 
能登麻美子は、けっこう好きです。

100パーセントの少女漫画『君に届け』” に1件のフィードバックがあります

  1. 大沢

    はじめまして。
    浅野いにおさんの検索してたら ここにつながりました。
    すごいたくさん本読んでるんですね。

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