「けいおん!!」補遺 第二期14話の自家中毒

どうでもいいことを大まじめに書くので興味のない人はスルー推奨で。

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改めて思うに「けいおん!!」第二期14話というのはある界隈でも「神回」として名高いものの、キャラクター先行という先日書いた内容に即してもまた、神がかった内容だったと思う。

そもそもバンドが五人なので仮に王道の「ぼけ+つっこみ」でまとめ上げようとすると構成として2+2+1になる。
2=律+澪
2=唯+梓
で、残るのが紬になる。

梓の入部する前でも
2=律+澪(これはもうしかたあるまい)
2=唯+和
で、残るのが紬で、設定としてどうも紬は単独になる傾向が強い。

それをキャラ自身が自覚し、上記の構図に揺さぶりをかけようというのが14話の梗概である。紬がぼけ役を所望し、澪にあの手この手を使ってつっこみを入れさせようとするが全くうまくいかない、という話で最終的には構図は温存される。

この手の「揺らぎ」というのは思い返すと、実は随所にあって、第一期の11話「ピンチ!」で既に律の澪に対する嫉妬心が描かれ、第二期16話「先輩!」では「梓+x」のパターンが持ち回りで展開される。

この前書いたエントリーでは「けいおん」と「サザエさん」とを思わず同列に考えていたのだけれど、もう少し詳細に見ていくとキャラ先行であるからこそキャラの「揺らぎ」が描かれることで安全圏の意外性を獲得することができる。このことがどこまで制作者側に自覚的なのかはわからないが、少なくとも「古典的」とは言えない要素がここにはあるように思う。

最終的なオチ、というか視聴者の安心を得るためにには自家中毒に陥るしかない。これは命題だ。けれど、ドラマから遠く離れた地場ではほんの少しの輪郭のぶれが大きな波を引き起こすことも可能になる。たとえば物語だと思ってこのアニメーションを見ると、つまらないものなのだけれど、間テクスト性ならぬ間キャラ性という視点で見ると、評価はまるで違ってくる。

物語の構造分析が今ではすっかり廃れてしまったのは、時間軸による変化をとらえきれないというこの分析手法の欠陥に因るものなのだろうが、ことキャラ先行の作品について言えば分析は有効であり、奇しくも大塚英志の指南するラノベ創作の方法論というのは完全に構造分析をベースにしているという事実を鑑みれば、まだまだ捨てたものではないと思うし、キャラ先行作品が物語作品よりも劣っているなどということは全然言えないのである。

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物語の構造分析といえば、むかーし、たしか高校三年の冬休みに予備校で川端の短編の構造分析をならって「こんな読み方があったのか!」と興奮したのを憶えています。四年後、卒論でぼくは谷崎を構造分析しようと思ったのですが、というか分析可能であることによって物語性を補完するという論理立てだったのですが今考えるとやっぱり変な感じがします。指導教官にも「ここは不要」とか言われた覚えもある。まあしかし、個人的にバルトが大好きです。

二項対立は確かにあざやかなまでに閉塞的ですが、その限界を知ったうえで使いこなせれば良いし、逆にそのあざやかさだけを愛でるのも悪いことじゃないんじゃないかな、と、「けいおん」を見ていてふと思うのです。

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