綿矢りさ「勝手にふるえてろ」

を、読みました。
文學界8月最新号巻頭掲載です。久しぶりの新作。

とはいえ、構図は基本的に『蹴りたい背中』をなぞっているようで、舞台が会社に変わっただけという感想がまず第一。さはさりながら、文体は確実に「崩れて」いっています。若さで書き連ねていた頃のとんがりはもはやこの作品には見あたりません。オタク的な生き方を是としてきた26歳女子の日常への呪詛。

だから他人の結婚とかおめでたについて考えはじめると私は途端にケチな気分になる。男の人を紹介してくれるどころか合コンに呼んでさえくれなかった先輩が、結婚妊娠で散々祝われてご祝儀だけきっちり徴収して、産休に入ると仕事のことなんか思い出したくもないのか、彼女の仕事を肩代わりしてやっている私たちにはなんの連絡も入れず、忘れたころにゲリラ的に一斉送信の赤ちゃんの写真つきメールを送信してくる、その一連の行動の繰り返しですっかり素直に祝えなくなってしまった。

けれど、おそらくはこれが読みどころであり味わいどころなのかもしれません。この小説は言ってみれば、ブログ的日常。日常の言葉は時にどす黒く、けれど時には素直なくらいに明るく美しい。そのことを小説の中に取り込んだのは、この作品が初めてかもしれない。ぼくたちは小説に似せて現実を見ようとし、小説に似せてその日常をブログに書き写すことはあります。この作品はそれを逆流させています。小説に似せた日常を小説にしている。

これだけブログが偏在化している現代という時代なので、おそらく少しでも文才のある人ならこれくらいの小説の文章は書けると思います。そして実際、そういう会社で働きながら職場での恋愛を面白おかしく描いてみせるブログというのはあります。現代の「女生徒」は少し検索すればそこここに存在しているはずです。

だからこそ、この作品が文学作品として商業誌に載ることの理由を問うてみなければならないでしょう。この作品に対する識者の評がどう彩られるのか、ぼくは一旦判断を保留しますが、楽しみなところです。

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