Cocco『ポロメリア』

を、読みました。

著者としては最初の小説であり、かつてCDとして発売された「ポロメリア」と同名ながら一読した限りでは「Raining」の方が歌詞の内容から言えば近いのではないかという気もしました。

有り体に言えば初潮を迎えた日に校舎から飛び降りるという話ではあるのですが、そこに至るまでのチャイルドフッドの最後の揺れ動く日々をこれでもかと言うくらいに緻密に描ききっています。「自伝的」ではあるので実体験がベースになっているエピソードがそこここに散らばっているのですが、そのどれもが印象深い。

しかしながらこれはビルドゥングスロマンのネガなのです。「成長」の物語ではあるのですがなにかを乗り越えるという成長ではなく、「汚れなきインファンシー」が否応なく少”女”時代に突入せざるを得ないことに対する「認知のゆがみ」の過程──とでも言うのでしょうか。

 大人達は子供をどんどん成長させたくて仕方がない。でも、それは期待通りの“成長”でなくてはいけない。行き急ぐと「あの子は、もう○○らしいよ」と、井戸端会議のサカナにされてしまう。近所の大城さんの長女が四年生で初潮を迎えたというニュースが三丁目を駆け巡った時、大人達は「ホルモン異常」だとか「早すぎる」と批判的だった。

私は男なのでこうした葛藤体験がどれほど共通のものなのかわからないのですが、性未分化な世界から自分が女であるということを自他の双方から責め立てられる世界へ突入するその凄まじいまでの心の動きは我々には想像を絶するものがあるということを示してくれる。「女であること」に対する反応が一方の世界では揶揄され、一方の世界では賞賛される。その分水嶺では確かに価値観なんて言葉は陳腐化するのでしょう。

最後の犬のエピソードが残酷であるという指摘はあるのですが、小説の道具立てとしてのみ考えれば効果的ではあります。この小説をあくまでも巷間にあふれる小説の一冊として読むのか、思わず著者の実体験として読み込んでしまうのか、そのあたりは古くて新しい問題であるし白黒はっきりできるものでもありませんから深追いはしないのですが、すくなくとも(語り手の時勢が若干ぶれるところがあるのは気になるのですが)一冊の自伝的小説として読むには充分な満足を与えてくれるものです。


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