今が過去にならないと理解できないもの

一時退社。夕食すき屋。一時半風呂。コンビニでなにか買って帰るより時間ロスは少ない気がする。

今日はとにかく眠たかった。びっくりするくらい眠たかった。「顔が疲れている」と言われた。確かに。でもそれでなにかがどうなるわけでもない。

あとで言い訳したくないために遅くまで残っていることもある。あの時もっとがんばっていれば、という後悔をあとでしたくないからだ。あれだけやったのにできなかったのなら、もうそれは自分のせいではない、という逃げ道を作っておくのだ。それで疲れてしまっては、本当にバカ丸出しかもしれない。ぼくにとっては「自分のため」というのは相当に優先順位が低いつもりでいるのだけれども、単なるナルシシズムの裏っ返しかもしれない。自覚することは難しいのだけれど。

理解はちょっとずつしか進むことはできない。それは物事に対してもそうなのだろうけれど、人間に対してもそうなんだと思う。どこかにブレイクスルーがある。どこかで線の傾きが急上昇する地点があるはず。そう思うことでしか時間をかけることに対する勇気を持つことはできない。時間をかけさえすればいいのだ、という開き直りではなく、一日一日の一歩一歩を感じながら生きてみたい。なんて、それはたぶん今が過去にならないと感じられないのかも。

過去は、克服すべきものではなくて、常にすでにそれはもう克服されてきたもののの集積だ。

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