青山七恵『かけら』

芥川賞受賞作以来の青山七恵体験でしたが、表題作も含め「久しぶりに小説らしい小説を読んだ!」というような、ちょっと懐かしい感じの読後感。

たまたま父親と二人で日帰りのサクランボ狩りに出かけた女子大生の一日を描いたもの。いつも家で見ているのとは違う父親の姿を見るたびに(それは本当に本当に些細な差異だったりするのだけれど)心が騒いでいく様を丁寧に描いています。読者はそれにつられてどうもこの父親の枯れっぷりを小津映画なんかと同一視してしまいます。

「桐子、お父さんに難しさを感じていたのか? お父さんはむしろ簡単だぞ」
「だってぜんぜん芯がないんだもん。気骨とか、覇気とか、ぜんぜん」
「おまえ、そういうのを求めてたのか」
 部屋着に着替えた父が居間に入ってきて、乾いた足音をさせてわたしたちの横を通り、台所に抜けて行った。
「求めてなかった」
 答えると、兄はすぐさま興味を失って、雑誌に目を落とした。

帰ってきてからの兄との会話でこの思い込みはひっくり返されます。父親対して違和感を感じていたのが、父親に違和感を感じていることにむしろ違和感を感じさせる。このあたりの展開が上手い。

三編の短編が収められていますが、「欅の部屋」も良い。結婚とは恋愛の終わりなのか? 過去の恋人のことを思い出しながらも自身の結婚へ着実に歩んでいく男性の心の揺れ動き。

小説とは共感を求めるものではない。自分を確認する作業ではない。心の新しい動きを読み取ることによってパターン化した感情生活に揺さぶりをかける体験なのだ。そんなことを感じた。

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