送別会

今日もまた余力100パーセントでした。今日はゴルフの日なので上司以下ほとんどの人がお休みのため、会社に来ているということ自体に希少価値のある日です。のーびのーびと机の中の整理を一日かけてやりました、というのはウソで、まあ、後輩指導などさんざんやりましした。

夜は室の送別会で、今日もまた経理を離れる若者が一人……。まあ、こういう部署で定年までやっていくことのしんどさみたいなのは、ぼくも多少は推し量ることも出来ますけど家庭とか持っているといろいろ事情もあるでしょうし想像の範疇にない部分もあるのだと思います。

一般事例として言うと、お父さんが毎日いつ帰ってくるかわからない上に深夜にならないと帰ってこない、あるいはお母さんだって同じことなのですが、そういうのってやっぱりおかしいですよね? あるべき姿ではないですよね? そういうの、子どもが当たり前と思っているって変ですよね?

ひるがえって自分の父親のことを考えると、うちの父はメーカーのR&Dのようなところに勤めていたのですがだいたい七時前後には帰ってきていてみんなでご飯は食べていました。「遅くなる」という電話があっても九時をまわることはまれでした(ただあの時代は土曜も出社でしたけど)。それが本当にラッキーなことだったのか、別に子どもの教育上夕飯は親子そろってないとダメだとかそういう論理破綻した押しつけがましい倫理とか道徳の話では全然なくて、ただ単純に、親父がそんなんだったら、いらない気もたくさん遣うだろうし、家族として同じ家に住んでいる意味がないだろうし……と思ってしまいます。

単純にそういうのが許されてしまうのは違和感があるのです、私は。

──というようなことは一端なのでしょうけれど、ただ現実としてそういう人はうちの室だけでなくて世の中にはたくさんいるでしょうし、一方で独身者だって「家族ある人はそれがいいわけに出来るからいいよな!」なんてことだって思わないと言ったらウソになるでしょうし。

なんでこんななにうまくいかないのかと思います。

ただ単に、「ああ、もっと自分が強くあれたら」という問題ではないような気がします。

私はこういうのは結局誰が悪いとか、例えば上司に責任転嫁したって始まる話ではないと思います。どこかの時点では自分が決断した積み重ねが今なのだから究極的には自己責任だろと言われればそれはそれで一理ある。けど、犯人捜しをしたってどうしようもないところまで来ていて、いやそれどころか「誰が悪いとかじゃなくてシステム自体が悪いんだ」とか言っても始まらないところまで来てしまっていて。

頭の悪い私にはなにが正解なのか、解決方法がなんなのかわかりません。

人間なんて最終的には自分のことしか考えてないし、それでいいと思うし、そういう中で流動的な組織がやっていくっていうのが奇跡みたいなことだと思うのだけれど、どうにもやりきれない瞬間というのはあります。なんでこの人、新婚さんなのに12時過ぎまでいるんだよ、とか、いやいやいてくれているのは自分に仕事を教えてくれるためじゃないか、とか自分がオーバーフローした分を手伝ってくれているからじゃないか、とか、なんかそういうときあるんですよ、消えてしまいたくなることが。

目の前の席で仕事をしている人間が自分の家族だったら、こんな仕事やめてしまえばいいのにと思うでしょう。それでもどうしようもないのです。みんなどうしようもなくて、本当に、そうするしかないからそうしているのです。みんなやりたいとかやりたくないとか、好き嫌いとか、これ出来たら自分がステップアップするかもしれないとか、思い描くキャリアパスの中で必要な能力がためされるかもしれないとか、誰かに褒められたいとか、そういうので動いているのではないのです、決してそうではないのです。

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