はい、どうもありがとうございます。好評のようですな…。
本日は同期&後輩の異動壮行会。八時に合流してさっき帰ってきました。こういうときでないとなかなか経理室に引きこもっていると会えない人達の顔が見られます…顔見るだけで終わってしまったような気もしますが。。。
その人がその場にいるかいないかでその場の空気が大きく変わる人っていますよね。大学の時も先輩におりました。いるといないとで、他のメンバーは全く変わらないのにぜんぜん違います。まあ、同期にもそんな希有な人がいまして、今日はそれをよく感じた。アレは本当に一つの才能だよな…才能でもあるし好きでやっていることが長じてそういったキャラクターが形成されるんだよな。
いやもう、恐れ入るんですよ。バラバラのものが一つにちゃんとまとまる。みんなその人の方を向いている。その人の指し示す方向にちゃんと従う。従うという言い方は変だけれど、その人の向いている方向にすごくきらきらした楽しいものがあるように感じてしまう。
それはきっと相対的に決まるものではないんだと思う。
例えば職場で、誰か一人は室長だとか部長だとかをやらないといけない。それはその人の指向に関係なく、役割として与えられる。あんたがそれをやらなくちゃいけないんだ、下がついてくるかは別問題としても、下がついてくるということすら役割の一部に入っている。そういう風に役割としてだったらできる人もいるだろう。だって室員というのも一つの役割だし、組織である以上守られなくちゃならない。
そこが学級崩壊はあっても職場崩壊なんていうものが現象として無いということの理由だと思う。
じゃあ飲み会は? 飲み会は組織ではない(ただし職場の飲み会は組織であるとは思うが)。もちろんお会計をしたりメンバーを集めたりというのはあるだろう。けれど会計の人は常に会計をやっているわけではないし、人集めだって「参加しなくてはならない」という義務感がないという前提さえあればそれは「結果を伴う」必要はない。だめならだめでそれでいい。
そういうところで自然発生的に生まれてくる「役割」というのが人間の本当の価値をかいま見せるのだと思う。会社で仕事ができるなんてほんとくだらない一面的な価値でしかないでしょ。そういう中でしか生きてない人はそれはそれでご勝手にという感じだけど。
誘ってくれる人がいる以上は、もうちっとぼくもなんとかしなくちゃなあと、しんみりと感じた今日でした。
会社において、「仕事」と「仕事以外」って、お菓子とオマケのような関係にあるかもしれないと思ってます。