無題

ぼく自身から遠ざかっていくものを、数え上げていく、どうしようもなく見送っている、手を伸ばして放すまいとしている、あるいは気づかずにいる。

午後の光が満ちた、坂道。そのイメージは惑乱する。惑わせ、乱す。あったかもしれない現実をかすめ取る瞬間、もちろん、ぼく一人だけなのだが。

この先に何があるのだろう。いや、それをぼくは知っている。点と点をつなぐ。線ではなく面でありたい。東京という街は点と点を結んだとき、はじめてその姿を現す。ぼくが、同じところをぐるぐると回っていたということを教えてくれる。

ぼく自身から遠ざかっていくのは、ぼくの後ろに広がる眺望。そうだ、ぼくは振り返ったことはない。後ろ向きに前に進むだけだ。

温度。音。湿度。汗の球が浮いた肌の表面をくすぐる生暖かい風。それはとどまっている。いつでもぼくを迎えてくれる、ように、錯覚している。錯覚は好きだ、なによりも。

同じ木陰。同じ高さの空。同じ足音。

日が暮れる前に逃げよう。それは瞬間だ。瞬間という点。

時間をたっぷりと含んで押し黙っている本棚の住人達。手をさしのべる。紙に印字された活字達はいつまでも同じ姿でとどまっている。変わったのはぼくの方だ。ぼく自身がぼく自身から遠ざかっていく。それは時間という液体の中で窒息していることを思い出させることなく、殺める。死に体、のまま、泳ぎ続ける。身体だけはおぼえているらしい。でも、歩き疲れた足は三日たってもぱんぱんにふくれあがって悲鳴を上げている。それが、年齢を重ねるということか。もう一度言おう、ぼく自身がぼく自身から遠ざかっていく。

変わりたくない、忘れたくない、ということがどれほど人に速度を思い出させるか。洪水のような速度。同じ時速で隣人を見ている限り、ぼくは速度を忘れる。もう、そうしてはいられない。

という意識が、溝を深める。ぼくとぼくとの間に横たわる溝。坂道という面では越えられない。そこにはもう一つの次元が必要だ。だがその力は今のぼくにはなさそうなのだ。

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