堀江敏幸の方へ

堀江敏幸を初めて読む。

なんというか、もう、素晴らしいの一言に尽きる。派手な物語があるわけではない。ただ、一人の男が日々思索にふけりながら生活をしていく、その有様。

純粋な思索を文章化しただけのものではない。生活という出来事の連続を文字で追っているだけでもない。その二つのバランスがとても心地よい。読み進めている時間と、作中の時間がほぼ同じ早さで流れていく。なにも急いで読み終わる必要はない。といって、行きつ戻りつしながらでなければ理解できない難解なことが書いているわけでもない。このバランスもとても心地よい。amazonのレビューにあった「純文学というよりは純文章」という感想もうなづける。

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日曜日の夜である。

ただ黙々と、やるべきことを成し遂げながら歩んでいきたい。派手なパフォーマンスも、酒の喧噪も、大きな声で自分の意見を言わなければならないシチュエーションも、もういいや、である。演ずることは、演じ続けることは、どうしたってしんどいのである。そして演ずることは仕事なのか、仕事の一部なのか、あるいはそれは誰かに強制されているのか。そこのところをもう少し突き詰めてみたらいかがなものか。

「静かに行くものは健やかに行く。健やかに行くものは遠くまで行く」

優先されるべきは自分が何をどう感じ何をどう考えていくのか、ではないのか。それが主であり、それ以外の全ては従である。──、と、ああそう言いきれるのならばどんなに幸福か。しかし幸福にはなりたい、あるいは偽悪的に。

なにをモデルとして生きていくかが、ぶれ始めている。

何がかっこよく、何がクールで、何が美しいのか。

長い間の刷り込みによって疲弊した心と身体とが今一度正直になれと言い始めている。しかし煙草とテレビとインターネット、過度の読書がむしばみすぎているのだ、情報とか言うヤツが。

前はこうではなかった。

前って? 何年前の話だい?

さあ? でも、確かにそういう一時代があった。一冊の本を一ヶ月の間に何度も読み返すような時代が。……もちろんこれは半分比喩なのだが。

ここまでの道のりをいつか進歩だったと、言える日が来てほしい。人様に言ってほしいと願っているようでは、まだまだ甘いのだ。

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