時間とはなんなのか──『モモ』

児童文学にはまったくといっていいほど造詣がないのですが、ノスタルジーやら時間やらについて考えていく一環として『モモ』を読みました。

これ、けっこう深いというか恐ろしい話です。まったくもって児童文学の範疇にとどまっていないです。たしかにモモが時間泥棒と戦う様子ははらはらさせるし、子供にもおもしろいかもしれません。しかし大人がこれを読んだとき、視点はむしろモモに助けられるベッポやジジに行ってしまいます。

なぜなら、ぼくたち大人というのは子供のようにたくさんの時間を持っていないし、ましてや「大きければ大きいほどいい」「速ければ速いほどいい」という病気にすっかりかかっているので。この物語に出てくる時間泥棒に心を奪われた大人たちの哀れさの、なんとぼくたちと似通っていることか!

モモが見た時間の源、本当の自分の時間の源がなんなのか、というのが気になる。そしてモモが自分の源を見たその記憶を忘れたくない、と願うその気持ちが何とも言えない。

 モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも彼女は息ができなくなりそうです。出口はありません! だれも助けに入ってくることはできず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべもありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。〈……〉もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それを持っているがために破滅してしまうような、そういう富がある〈……〉

すばらしい体験の記憶を共有できないつらさ、それがモモを閉じこめてしまっている。上の文章にはいろんな意味が潜んでいるようにも思えます。

それにしても、この作品には時間についてだけでなく時間と仕事の関係についても多くのことを語ってくれています。特にベッポの仕事の変遷などたどると、なんとも身につまされる。早くしろ早くしろと誰が言っているか知らないが、うちの会社の連中にも読ませてやりたい。もっとも本を読む暇なんてないと言われるかも知れませんが。。。

時間とはなんなのか──『モモ』」への2件のフィードバック

  1. サンワコ

    この本、「読め!読むんだ!」と友人に勧められて、しかも買い与えられたんだけど何となく全然開きませんでしたわ。。。こういうお話なのね!(笑)

  2. しゃもぢ@管理人

    きっと読めといった人も会社に病んでいるのでは…? まあ、いい本ですよ。

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