ふたたびの翻訳文学

新作も30枚を突破。過去の例からすればいいペースで進んでいます。原稿用紙に万年筆もたまにはいいもんだね。

昔ものを書こうとしたときに感じたような気負いは、そこにはもうほとんどなかった。買ってきたばかりの安物の万年筆と原稿用紙を机の上に並べて置いただけで、なんだか気持ちがほっとしてしまったくらいだった。〈中略〉毎日夜遅くまで働いて、夜中にビールを飲みながら台所のテーブルに向かって書いた。毎日少しずつ区切って、「今日はここまで」という感じで書いた。(村上春樹「台所のテーブルから生まれた小説」)

こういうのはすごく素敵だと思う。せめてこうありたいと、思う。

最近買ったままでほったらかしてあった光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』を読み進めている。やっと第四巻に突入。ミーチャ連行まで(ここのシーンはなんだかケツメイシの新曲がよく似合う)。この本を最初に読んだのは確か高校一年の時、新潮文庫のちーちゃい活字で行き帰りの電車の中でうんうんうなりながら読んだのをよく覚えている。『罪と罰』を読んだ直後だった気がする。やはり原卓也の往年の名訳に比べて亀山訳は非常にすっきりしていてすらすら読める。でもこのすばらしくポリフォニックで重厚なドスト氏の文体は全然損なわれていない。簡易な訳で読んだ気になる、というレベルでは全然無い。

最近村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読んだのだけど、この小説は珍しくぼくが原典でも読み通し野崎訳でも二度読んだわりと好きな小説で、春樹訳もとても楽しめて読むことができた。あの近代文学をこっぱみじんにする冒頭の一節も、ホールデンが脈略もなく突然泣き出すなんだか底知れない切なさも、やっぱり何度読んでもすばらしい。

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