けじめ

先週は本当にひどかった、という話は先日エントリーで記したので繰り返さない。結局仕事のレベルは最低限を割り切ってた。

「今からやり直していると明後日に絶対間に合いません」

と、今から考えると社会人としてあり得ない発言をしてさっさとご帰宅。でもそれは辞める同期の送別会があったから。で、それをちゃんとわかってくれている先輩がぼくの代わりに間に合わない部分を手伝ってくれた。

翌朝、いつもより一時間早く行って、誰もいない室でパソコンを叩いた。今日中に何とか間に合わせよう。間に合わせることができる。そう思える状態にエクセルのシートはできあがっていた。

なんかもう、泣きそうだった。

いざとなったら誰も助けてくれない、という確信があった。

「え? それってしゃもぢくんの仕事だよね」

ということを言外に臭わされる瞬間は何度もあった。だから逆にぼくも「え? ぼく、それ手伝わないといけないんですか?」と言外に生意気を言うこともあった。売り言葉に買い言葉じゃないか。いくら何でもレベルが低すぎる。

こういう負のスパイラルはとにかく断ち切るべきだ。きっとぼくだけが思っているわけではないだろう。ぼくのような思いをするのはぼく一人で充分だ。

辞めていく同期にうちの会社の構造的な欠陥をいくつか指摘してもらった。努力する人が報われない。端的に言えばそうだ。「いや、それは両論あると思うよ」とぼくは言ったけれど、事実としてシステムが人間の働きを硬直化させているのは否めないと思った。

システムって、大きな話のようではあるし、確かにこれだけ大きな会社だから昨日今日で変えられるものではない。けれど、人が集まって上下関係を強いられる場所であれば見えない構造というものは意外と簡単に、そして堅固にできあがってしまうものだろう。その意味では部でも室でも班でも、問題は同じだ。

だから自分の足下から変えられるものは変えることで、波紋のようにそれは伝わるはずだ、と信じたい。

はやりの言葉ではあるけれど、良い意味でスーパーフラットな組織というのがぼくの中では理想。齋藤孝も言っているけれど、たとえば会議一つをとっても始まる前と終わった後でクリエイティブな何かが生み出されていないのならやる必要なんてあるのだろうか? どっかの知事も「定例記者会見って必要ですかね?」と記者に食ってかかっていたけど、まったくそれはその通りだ。上下関係なく一つの問題に対して意見を述べあう。上は上の視点で下を開眼させなくちゃならないし、下は下なりに実務的な観点から何が可能で何が不可能かを峻別すべきだ。やるのは我々なんだから。

報告が仕事じゃないんですよ。

だって御前会議が多すぎる。ぼくみたいな下っ端が御前会議で発言権があると思いますか? 沈黙がベスト。下手な宿題を持って帰らされるのはまっぴら。そう思ってしまうでしょう、やっぱり。それがとにかくバカバカしい。

繰り返しますが、報告が仕事じゃないんですよ。

とにかく、ぼく個人の問題も含めてしっかりと変えるべきところは変えていこうと思っている。そのきっかけは充分に与えられている。そういう場所にようやくぼくも来た。腐るな。できることは限られているが、限られている中でまずは腐らずに一つ一つやり遂げていきたい。いきなり変わる訳じゃない。けれどぼくが自分を見失わずに気をつけていればそれだけで充分な部分はある。それくらいの矜持と自負とはある。

けじめつけて、出直しです。

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