「なにをそんなに?」

その人の人生を最後まで見てみたい、と思わせてくれる人がたくさんいて、彼らはぼくにたくさんの刺激をくれて、ぼくはそこから小説を書くことができたりする。

こんな書き出しを考えている。

 その日のことは、よく覚えている。
 ギャラリーに入ってきた亜子ちゃんがいきなり「わたし結婚することになってさあ、もう最近すごい忙しいのよ」と言い出したのだ。彼女はさも「忙しい」という部分を伝えに来たかのような口ぶりだったけれど、その場にいたみんなは一瞬凍り付き、亜子ちゃんといちばん親しかった私が結局口火を切らなければならなかった。

女性の一人称はとても書きやすい。ぼく自身と語り手との間に微妙なずれがあるからだ。書くこととは対象との距離を取るためにまずぼくがしなければならない外科手術のようなもの。

作者=語り手というのはやってみるとけっこうしんどいものなのだ。そのしんどさは「高炉とカーテンウォール」にもよく表れている。結局、男の言葉になってしまう。それはきわめて近代文学的で、そしてそれは我々が越えなければならないもの。

これは大いなる挑戦である。
心ある読者よ、よろしく活眼を開けよ。

なんて、太宰なら言いそうなところだ。

「なにをそんなに?」

然り。その疑問にも答えていこうと思う。これはとても、本当に個人的な挑戦なのです。人には子供の遊びに見えても、本人は自己の記録更新を目指しているのです。自己表現ではない、自己変革のための創作を。それを志したい。

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