くるり的、文学的

くるりのベストを聴いていて思うのは、彼らの音楽というのは自分が鈍感であることをびしびしと自覚してしまう繊細さみたいなものなのではないかな、ということだった。

「ばらの花」「ハイウェイ」は何度聞いても飽きない。とにかくフルカワミキのコーラスが切ない。この切なさはたぶん二十代後半にならないとわからないだろうな、なんて考えていたらそんな年齢はもうすぐそこだ。

ジンジャーエール買って飲んだ
こんな味だったけな
   ――くるり「ばらの花」

そのジンジャーエールはかつてだれと飲んだの?
その時、どんな光があなたの周りにまたたいていたの?
そのとききみはどんなバイトをしていて、どんな夢を持っていたの?

けれどそのすべてが忘れられてしまっている。
「味覚=記憶」にすら疑問を持ってしまう。
それは自分自身の存在に疑問を呈することにたやすくすり替わってしまう。「あんな味」だろうと思い続けてきたぼくが、否定されてしまうから。

そういう経験だけは、身に覚えがあるものです。

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