ロハスな読書

平野啓一郎も「遅読のすすめ」です。

書いてある内容に本家山村修氏の『遅読のすすめ』(新潮社,2002)を上回るものはありませんが、まあ良い意味でも悪い意味でも新書的な新書です。

それにしても以下の引用部分には一抹の寂しさを感じます、自分に引きを寄せてみてなお。

 個人的な経験からしても、中学や高校時代には、そもそもお金の余裕がなかったから、月の初めに小遣いをもらって、欲しかった本とCDとを買えば、財布はすぐにスッカラカンになって、後は翌月まで、ひたすら同じ本を読み、同じCDばかりを聴いていた。〔中略〕
 私たちは、どうやってもかつての世界には戻れない。これは事実である。

戻れないんですか……そうですよね、戻れませんよね。

それで「スロー・リーディング」や「リ・リーディング」によって、つまりは遅読や再読によってすこしでもかつての幸福な読書を取り戻そうというわけです(ちょっとまとめかたとしては曲解かも)。

ぼく自身結局のところ、再読三読したくなるような本と次に出会うまでのつなぎとして、時間つぶしとして大量の本を速読しているようなパターンに陥っていることは否めません。

それってけっこう金と時間の無駄遣いだったりします。それならば今ある本を昧読しつつ次なる良書との出会いを心待ちにする……それが理想の、本来的な意味での読書生活であるような気もします。前にも書きましたけど、本を読むテンポがぼくの場合生活のテンポに濃厚に反映してしまうので、せかせかと速読ばっかりやっているときって、生活も心ここにあらずという風になりがちです。

でも一方で読みたい本がまだまだたくさんあるというのも事実。やっと第二巻の中盤にさしかかった『座談会 昭和文学史』も読んでいると未読の名作がたくさんぼくには残されていることに気づかされるし、ランディのエッセイとか吉本ばななもまだ読んでいないのたくさんあるし三島も全集レベルで読み込んでみたいし(ああ、そんな時間があったならば!)、古典も外国文学もぜんぜん読んでいない。現代作家だって野ばら、保坂、春樹なんかは新刊が出れば必ずチェックだし。

時間があるときにはお金が無く、お金があるときには時間がない。ほんっと、ジレンマだ。学生時代の時に欲しかった本を買いあさるというのをここ一年くらいやってきたんだけど(『日本近代文学大事典』全六巻とか『座談会 昭和文学史』全六巻とか野ばら,魚喃キリコの単行本を全部揃えるとか)、そろそろ一段落。買えるときにとにかく買っておく、と割り切ってきたんだけどやっぱり手つかずの本を本棚に入れておくというのは精神衛生上あまりよろしくないな、という思いもある。

本の話ばっかりしてるけどCDもそう。詳細は割愛しますが。

これといって解決策があるわけではないし、あるいは解決策があったとしてもそれを守れるかどうかはまた別問題。中庸策としては同じ本を何度も速読する、とか。とりあえずこんなところで。

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ロハスな読書」への4件のフィードバック

  1. ranshi

    山村修氏の『遅読のすすめ』は単なる素人の読書日記にすぎないと思います
    特別な認識は全くありません

  2. しゃもぢ@管理人

    もちろんそうでしょう。
    山村氏は「プロ」である福田和也や立花隆とは立場を異にしていると明記していますからね。

  3. ロハスライフ情報バンク@スロー&シンプルに

    ロハスの意味

    ロハスとはLOHAS=Lifestyles・・・

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