だらだらと、信じたいことを

最近のANESSAのCMに出ているのがエビちゃんなのか押切もえなのか論争に敗れた管理人しゃもぢです(あれほんとにえびちゃんなのか!?)。いかがおすごしでしょうか。

三連休というのは普段の土日と違ってだいぶゆっくりできます。小谷美紗子を聞きながらナイーブになってみることすら許されます。

最近考えていることをだらだら書いてみます。

・これからの一年を乗り切るにはワーカホリックとしての美学を見いださないといけないのだろうか←against my will
・肩の痛みがぜんぜん治らない
・本当に書きたいことがない
・本当に読みたい本がない
・なにに対しても興味が無くなっている
・いつまでこんな生活が続くのだろうか
・個人的には禁句だが、もうちっと主体的に人生にかかわりたい
・大きな諦念がもやもやと空気のように体を包んでいます

…と、ほんとにだらだら書いているとドツボにはまりそうなのでこの辺でやめておきます。こうして見てみると、ベラルーシの政治動向も気になるところだけどやっぱり自分のことについてしか興味がないように思える。

自分、自分、自分、だ!

それを悪いことだと断ずるにはまだ勇気が要ります。

でもさあ、ブログの形式として「自己批判」っていうのも導入しようかとも考えているのさ、ちゃんとした「自己批判」を。他人とか社会を批判する立場には立ちたくないのよ、善悪なんて相対的なものだから。そう思わない人はとりあえずホリエモンが善なのか悪なのかというところから話を始めないといけないやーね。

昨日の社長本を読んで、ちょっと毎日ブログつけてみようかと思ったのよ。今の自分にとって一番熱を入れられるのはここかな、と思いまして。小説は立ち上がりにものすごいエネルギーがいって、もう四稿くらい書き出しを二、三枚書いてみたのだけれど「これをうん十枚というレベルにまで持って行くのは苦痛だな」とことごとく思ってしまう。

あのね、「書きたいこと」っていうことにかんしては唯一、ぼくはスピリチャルなものを感じてしまうのさ。自分の場合でいうと、なんか学校の帰り道とかでぱっとひらめいて今書かないとだめだっていう衝動が走ってだだだって家に帰って部屋に飛び込んでだだだっとキーボードを叩くっていうパターンなのよ、常に。

そういう衝動はなくなった。

まあそれなら今は無理してなにかを書くことはしなくてもいいのかなと。

ただインプットとアウトプットとの関係というのは絶対に、ある。でもこれ、ぼくの愛読している某ブログにも書いてあったが「同じ量だからいいというものではない。そもそもこれは定量的なものではない。もっとこう、なんというか、ぷぎゃーなかんじのもの」だ(笑) 日常の体験のなかで心の中にとどまっていく澱のようなものがたまってくるのよ、それがある臨界点を越えるとどばーっとあふれてくる。それを一滴もこぼさないようにして走り回るというのがぼくにとっての書くこと。だから向こうからやってくるのだ。

書きたいことが書けるわけじゃない。
本当に自分にとって書かなければならないという使命を帯びたテーマ・モチーフ・メッセージは向こうからやってくる。うまくそれをキャッチすることが大事だ。

で、結局なにが問題なんだったっけ?

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