「思い切って」「あきらめる」こと。

思い切って昼まで眠る。夢を見る。昔好きだった人が出てきた。かなり近くでその顔を見たから確実である。少しだけ満ち足りた気持ちは、睡眠時間に比例するのだとしたらむしろ寝坊した方が休日の過ごし方として効率がいいような気もする。

近くの郵便局へ歩いていく。昨日郵便物を出しに行ったらもう窓口が閉まっていて、封書はそのまま駐車場に止めてあるぼくの車の助手席へ放り込んでおいたものだから、近くでもそのまま車で行こうかとも思った。でも結局ドアを開けてそれを取り出すと、ドアを閉めた。

歩いていくことにする。あまりにも天気が良すぎるから。「雲が一つも見あたらないから」とあとで書こうと思って仰いだのだけれど、海の方の空には少しだけ綿のかたまりを細く引き延ばしたような雲が浮かんでいた。

そのあと思い切って図書館まで足を伸ばすことにする。住宅街をくねくねと歩く。ときどき空き地(っていうか、この単語を使うことのできる鹿島っていう場所はやっぱりいいところだと思う)で子供が一人で遊んでいたりする。ゲートボールに興ずる元気なおじいさんおばあさんもいる。3メートルもあろうかと思われる松の木がぽかんとと突っ立っていたりもする。

図書館では西鶴とヘッセを拾い読みする。窓際の席に座っていると外の鳥の声がチチチと聞こえてきて、とても気分がよい。館内の座敷では中学生の女の子が教科書を広げている。茶髪のにーちゃんも隣であぐらをかきながらバイク雑誌をめくっている。

車に乗るということは自分の周りの空間が外とは切り離された状態で移動していることだと思う。車で外出というのはその実、一歩も外に出ていないような気がする。冬の空気や臭いや音に体をさらけ出す、せめて自転車にでも乗って。はじめてその時、自分はこの土地に住んでいるんだという気持ちになる。

毎週末東京に帰るというのも一つのライフスタイルだとは思うけれど、やっぱり生活の中で否が応でも時間を割かなければならない場所というのを肯定してあげないと自分が苦しい。それはなにもむ形而下の問題にとどまらないけれど、くだくだしいのでこれ以上は書かない。

それから寮の部屋へまたてくてくと歩いて戻る。そうしてなんだか文章を書きたくなった。

思い切るというのは大事だと思う。

でも、すごいよな。「思い」を「切る」んだからな。新明解をのぞくと「思い切り」の第一義が「あきらめ」になっているのがそれをよく表していると思う。拘泥していたなにかをばっさりと切って捨てる。そうすると意外にも物事が「あきら」かになるのだ。そういうものなのだ。

そんなわけで、今年のこり二ヶ月のテーマは「思い切る」です。

ちなみにこの文章は思い切って解禁したたばこによって驚異の集中力が舞い戻り、ものされたのだとか。

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