高ければ高い壁の方が……

以前に「全体と部分とを往復する」というエントリーを書いた。でも、最近はそれがすごく机上の空論だなと思い始めている。

いま部署に配属されて、まあじっと机に座っていることが多いのだけれどできることなんて何一つない。電話をとるくらい。周りの先輩方が話している内容もぜんぜん分からない。とにかく、地を這い回るような視点しかないからなにが部分でなにが全体なのかも分からない。俯瞰できない。

部分と部分との関係性を捉えることで全体像を構築しようとしたのが構造主義なのだけれど、もしかしたら仕事についてもそう考えていく方が現実的なのかもしれない。分厚いマニュアルを渡されて途方に暮れる。でも、各項目間に数字のつながりが必ずあって、それを理解することで全体が見えてくるのかもしれない。うん、実際そういうことの方が多いな。

その上で、「全体と部分とを往復する」視点を持ちたい、あるいはそういう視点を志向することでルーチンワークにも意味がもたらされることもあるだろう。とにかく、仕事に対して余裕がぜんぜん持てない! それに耐えることがちょっとつらいのです、最近。休みの日にはちょっと腰を上げて周りを見渡したい。

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最近下の本を読みました。図書館で借りておもしろかったので結局買った。そしたら来月新潮文庫に入ることが新潮社の新刊速報で……。

カリスマ美術教師のルポタージュとでも言えばいいんでしょうか。教科として美術を教えるのではなくて、美術を通してもっと大きなことを教えようとしている、その姿がよく描かれています。具体的な学習内容や作業が紹介されているので非常に説得力があるし、後半では逆にそれが教師社会の中でなかなか受け入れられない(美術だけに時間を割かれることを他の教科の教師が嫌うなど、かなり現実的な問題)様子なども紹介されていて、なかなか読むところがある本でした。もちろん自分がこれからどういうつもりで仕事をやっていくのかということを考えながら読んでいたんですがね……おすすめです。

高ければ高い壁の方が……」への2件のフィードバック

  1. KAZAMAX

    理系の人間は~って括るのは良くないかもしれないけど。
    帰納的に部分部分のものから全体を見回すって作業に慣れていると思う。具体例→一般性を見つけるのが主な事だから。
    数学なんかも一見何の関連性の無い単元通しが、実は深いとこで繋がってたりとかね。でもその関係が分かるのって今度は全体を見回すって能力が必要だと思うんだよね。
    だからしゃもじにいやんの「全体と部分を往復する」って考えには共感出来るなりが…。オレ意味取り違えてるかにゃ?(笑)

  2. 管理人

    コメントありがとう~。
    なんというか、自分が「全体」と思っているものがどの程度「全体」なのかっていうことにちょっと自信が持てないんだよね、ぼくは。でも、方向性は同じだと思うよ~。

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