聴覚の愉楽

ぼくはワインが好きなんじゃなくて、瓶に入った飲み物が好きなんだよね。なので缶チューハイも缶ビールもほとんど飲みません。それはコップに注ぐときに、瓶だとカチリと音がする、それが好きなんです。

あるいは、缶入りに比べて瓶に入っている方が中身を大事にしている感じがする。あくまでも、印象ね。

プラスチックの成形物って見た目はキレイなんだけど音のことまで考えられていないような気がする。陶器のマグカップを堅い木の机の上に置く音とか、いい紙を使ったノートをぱらぱらとめくる音とか、けっこう気をつけて耳を澄ませば生活の中にある音ってけっこうあって、ぼくが言いたいのは「生活音の性質向上」みたいなことなんだと思う。ま、くだくだしくなりそうだからこれ以上は推察してください。みんなうるさいっていうけど冷蔵庫がブーンって鳴る音とか、けっこう好きですよ。

『墨東綺譚』を読んでいたらこれまた荷風らしい表現があって、実はここから今日のエントリーを思いつきました。(引用は新潮文庫より)

一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音機やラディオを禁じ、また三味線をも弾かせないと云うことで。雨のしとしと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外に群り鳴く蚊の声が目立って、いかにも場末の裏町らしい侘しさが感じられて来る。

主人公は近隣でがなり立てる「ラディオ」や「蓄音機」の騒音から逃れるため銀座界隈までやってきます。そこには近代文明に犯されていない戯作的世界が広がっているというわけ。

『墨東綺譚』にはさまざまな音が活写されています。おそらく電灯の発達していない時代には視覚よりもむしろ聴覚が重んじられていたはずで、だからこそ音に対する感覚も鋭敏だったのかもしれません。

会社に入って寮生活を始めてからテレビを買っていません。音楽も十代の頃みたいに四六時中流しているわけでもない。周りが静かなので窓をちょっと開けてキーボードをカタカタ鳴らすというのが、いまのところぼくにとっては至福の時間です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA