三浦佑之『古事記を読みなおす』

を、読みました。

それにしてもキンドルの月一セールでは往年の筑摩新書の名著が安く手に入るので毎月楽しみにしています。今月は本書を読みました。

口語訳古事記がベストセラーになったのは記憶に新しいですが(と言っても10年以上前のことになってしまいますが……)同じ著者による、いわば研究の最前線を論文という厳密性の世界では書けないやわらかい状態で差し出してくれる、新書ならではの内容です。

よく日本書紀と古事記とが「記紀」としてひとくくりにされてしまうことに絶対反対の立場で、この二つは似て非なるものであると。体制側が自らの正当性を証明するためのいわば人工的に生み出された歴史記述が日本書紀だとすれば、古事記は戦いに負けた側の思いを後世に伝えるための「語り」の場である、と。その二つを都合よくミックスして「記紀」にはこんな風に書いてある、などと言うな! というのが著者の主張です。まさにその通りなんでしょう。

実はぼく自身はまだ古事記を読んでいないのです。いま10年がかかりで通読をかんばってる新潮日本古典集成もまだ古事記の巻を読むのは先になりそうですが、まあそこまでのお楽しみの予告編ということで本書は楽しく読ませていただきました。それにしても古事記のような古典の決定版のようなものもまだまだ研究の余地が多いというのは驚き。もちろんそれは戦時中の国策に乗せられてしまった研究史としての「哀しみ」もあるんでしょうけど。ぼくは国文科出身ながらも怠惰な学生でしたので、津田左右吉も、真っ茶色になった古い岩波文庫の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』を図書館でぱらぱらめくるのが精一杯でしたが、古事記の研究史自体もこれは一つの研究のテーマになったりするんでしょうね。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。