横光利一『上海』(青空文庫)

を、読みました。

本作は新感覚派としての横光の一つの頂点ということなのですが、内容的には前半は租界の「トルコ風呂」の女達とのあれやこれやがドタバタと続き、後半になってようやく五三〇事件が緻密に描かれていきます。たしかに凝った文体。そして群像を描くのが本当にうまい。けれど、群像の描写がうまいと僕が以前に思ったのは他でもない『蟹工船』だったりするわけです。案外と新感覚派とプロレタリア派は文学史上は対立して捉えられていますが、五三〇事件をしっかりと描くあたり、横光も題材的にはそういうものを選んだりしているわけです。ただ表現手法と表現内容とを対立させても、それは厳密な意味で対立にはならないんでしょうね。横光が当時マルクシズムに対してどのようなスタンスだったのかはよくわかりませんが、ただきれいに、恋愛小説のようにこの事件を描ききってしまうあたりは、横光の感覚というのは抜群です、やっぱりそれはもう。もちろんある事件なり、景色なり、人々の動きなりある人物の目から見えた動向を描き出すのもうまいのですが、個人的には次の一節にしびれました。

〔……〕休んだ煽風器の羽の下で、これはまたあまりに長閑に、参木はミルクに溶ける砂糖の音を聞いていた。

横光利一『上海』

それはどんな音がするのだろうか……のどやかな雰囲気が、光景が目に浮かぶようです。

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