村上春樹『1973年のピンボール』再読@kindle

鼠=キズキ、という説があるそうな。

昔、石原千秋の新書で村上春樹の初期の作品を読み解いているものがあったけれど、よく読むと単なる三角関係の話だったというオチで、当時はぼくはあんまりピンと来なかった(『風の歌を聴け』の方かもしれません)。「ピンボール」に関しては、「僕」に対して「直子」が、「鼠」に対しては別の「女」が配置されています。キズキは若くして自殺しそれが直子の自殺につながっていくわけですが、「ピンボール」においては直子の自死だけが「僕」の視線が語られ、「鼠」はあくまで町を出ていくだけです。

「ノルウェイ」が一つの頂点であり、初期三部作が登場人物を複数回登場させながらそこに至るトライアル&エラーなのだとしたら、「鼠=キズキ」というのも成り立つのかもしれません。「ピンボール」においては三角関係をいったん二つの「一対一」に分解してそれぞれを、他でもない作者が「書く」という営為で救済していく、いや、救済を求めていくというその現場が「ピンボール」という小説なのかもしれません。

それでは「ピンボール」において「鼠」はすでに死んでいる? 1970年の春に大学をやめたというところが死のメタファーなのか? 「僕」は1970年の冬までの半年を「草原のまん中に僕のサイズに合った穴を掘り、そこにすっぽりと身を埋め、そして全ての音に耳を塞いだ」。そんな状態にしたのが春先の「鼠」の死だったのか、そしてそんなときに「鼠」が夢中になっていたピンボールと再会する。

そのあと「鼠」は何度も年齢に対する言及をやめません。1973年時点で25歳を「引退」の時と定め、「女」の年齢を27歳と言い当てる。でも僕と直子は1969年時点では20歳だから「鼠」は一歳年上だったのか、それとも誕生日のタイミングの問題なのかわかりません。ただ「僕」は語りの時点で24歳か25歳だということ。引退だと自分に言い聞かせているのはほかでもない「僕」じゃないのか? なんども過去を忘れようとしている「僕」。そんな風にも読めてきます。「鼠」の物語を語っているのは「僕」であり、それは「鼠」を通じて僕の心象風景というか、思考実験をしているに過ぎない。「ハードボイルド~」と同じ構図です。

いずれにせよ1970年の春に「鼠」は死に、直子はそれを追うようにして1971年か1972年に自殺した。1973年の語り手の現時点に鼠も直子ももういない。「僕」とは少なくとも関係性を断っている。弔うように「僕」は直子の生まれた町へ行き、あるいはピンボールを探し始める。「僕」と「鼠」の距離が700キロと書かれていますが、渋谷の翻訳事務所で働いている「僕」から西へ700キロだとだいたい岡山のあたり。瀬戸内の海が「鼠」の故郷だ。しかもその霊園を訪れる描写すらある。

そういう物語なの? 本当に?


<後日追記>

と、啖呵を切ってみたもののネット上の考察をいろいろ読んでいるとあくまでも鼠が死んだのは町を出ていくタイミング=ジェイのもとを去るというのが「死」のメタファーなのだという説が多かった。

これは文体=スタイルの問題にも関わるのだけれど、なぜ「僕」パートの軽快な一人称文体と、「鼠」パートの(のちの「ノルウェイの森」につながるような)リアリズム的文体とが使い分けられているのか?

もし町を出るタイミングを「鼠」の死とするのであれば、女やジェイとのやり取りは小説内世界の出来事として実際に、現実に、あったことになる。

一方で(ぼく自身はそう思うのだけれど)大学卒業後1970年の時点で「鼠」はすでに死んでおり、1973年前後に「僕」のエピソードと並列して並べられる「鼠」の出来事はあくまでも「僕」の「鼠」に対する願望というか、「鼠」がもし生きていたとして「僕」の心象風景を託したある意味での弔いとしての文章生成の現場なのではないか──。

「鼠」の1970年を境とする一つの契機として時間の流れ方の変化がある。

鼠にとっての時の流れは、まるでどこかでプツンと断ち切られてしまったように見える。何故そんなことになってしまったのか、鼠にはわからない。切り口をみつけることさえできない。

村上春樹『1973年のピンボール』

鼠にとって時の流れがその均質さを少しずつ失い始めたのは三年ばかり前のことだった。大学をやめた春だ。

村上春樹『1973年のピンボール』

この変化が「死」を意味するのであれば、ピンボールをまだ「僕」と「鼠」がゲームセンターで興じていたところに、「鼠」がいくらピンボールをやっても自分だけはうんざりしないと言い切ったのも、「時の均質さ」がなせる業なのかもしれない。

ただ、ふつう「時の均質さ」は生というよりは死の側ではないのだろうか? けれど生きているはずの「僕」はひたすら三年前の出来事が三年前の出来事と思えないくらい、時間の感覚が無くなっている。自分の年齢を何回も思い返さなければならないくらい時間の感覚がなくなっている。作品世界においては時間間隔がないほうが「生」なのかもしれない。

「僕」は1970年の「鼠」の死後、心の中で「鼠」と伴走しながら生き続ける。そうしないといけないくらいショックな出来事だった。自殺ではなく、事故だったのかもしれない。1973年に「引退」を「鼠」に言い渡すのは、「僕」自身なのではないか。いつまでも「鼠」を心の中に住まわせておくわけにはいかない。自分の人生を生き始めなければならない。それが、1973年という年だったのではないか。

ちなみにこういうのを作っている人もいる。すごい。便利。

1973年のピンボールー年表作成サービス

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