森鷗外『阿部一族』(青空文庫)

を、読みました。

短編なので一時間くらいで読み切ります。史実との相違はどこまで行ってもよくわかりませんが、やはり最後の最後でよくわからないのは、阿部一族の隣家であった柄本又七郎なんですが……討ち入り前夜に、妻に激励の差し入れを持って行かせるんですね。しかも男の自分が行くと後々ばれたときにまずいからって自分では行かないのです。又七郎の妻が差し入れから自邸に帰る時も、阿部一族の中の子供たちが普段よく遊んでくれた隣人ということで泣いて放さないとさらっと鷗外は一行だけ書くんですが、その部分とかもうなんか読んでいると涙を誘うわけです。

女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬるからは、世の中に誰一人菩提を弔うてくれるものもあるまい、どうぞ思い出したら、一遍の回向をしてもらいたいと頼んだ。子供たちは門外へ一足も出されぬので、ふだん優しくしてくれた柄本の女房を見て、右左から取りすがって、たやすく放して帰さなかった。

『阿部一族』森鷗外

ところが! 当の又七郎は結局、情けは情け、武士は武士だからと言ってしっかり槍を持って台所から討ち入るんですよね。隣家でしかもよく交流していたので家の隅々までよく知っているというアドバンテージを最大限生かして。しかも討ち入りが成功すると「討ち入りなんか朝飯前だ」とかなんとか豪語して、いわば城主である光尚から別荘とか褒美にもらうわけですよ。

物語の前半には切腹の前に下戸なのに酒を飲んで昼までぐうぐう寝てしまう若者なんかも出てきてます。鷗外の簡潔な筆致に相まって、大義名分だなんだと騒ぎまくっている裏で、本当にバカみたいな紙一重でバカがバカでなく見えてしまう人間群像の悲しさというか、バカがバカやったおかけで実態を知らない人々がクソ真面目に命を懸けてしまう悲しさというか、もう少しうがって見ると、おかしみというか、「人間って本当にバカだよなあ」というすこし笑ってしまう嘆息が、「歴史」という距離感の中からどうしても滲み出てしまう。

鷗外の歴史ものもしばらく読んでいないのでこれを機にまた再読してみたいです。「阿部一族」は本当に、サラリーマン的に読むとまた数倍面白いんじゃないかと思えてきます。

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