『ノルウェイの森』キンドル再読

を、読みました。

本書ははっきり言って何度読み返したかわからない。文庫で読み、全集で読み、映画を繰り返し見、そして電子書籍でも改めて読み返しています。

個人的には主人公にはあまり評価されていませんが永沢さんの最終的には結構まじめな人生観が好きだったりします。個人主義をワタナベとはもう少し違った方向へ突き詰めていくとああいう人間も出来上がるんだろうと思います。

あとは、いつまでもよくわからないのが冒頭のドイツに到着した飛行機の機内での回想という設定。主人公は37歳になっています。本書の中でドイツが出てくるのはまさに外務省に入った永沢さんの赴任先なんですよね(演劇を学んでいるはずのワタナベはひたすらドイツ語テストに向けた勉強もしていますが……)。そして永沢さん自身はいつかワタナベとまたどこかで会いそうな気がするという予言を残しています。たぶんワタナベから会いに行くことはないにせよ、なんとなく何回か訪れているこの国で、この後永沢さんと再会するんじゃないかという妄想を掻き立てられます。

その時彼はどう思うんでしょう? 懐かしいという感情にはならないのかもしれません。すでにハツミさんが自殺した後の話になるでしょうから、二人の話題は限られているのかもしれません。あるいは、永沢さんの方はひたすら懐かしそうに青春の日々を回顧する一方で、ワタナベはひたすら「卒業」できない自己の取り扱いに苦しみ続けるのか。

そういえば本書では、ワタナベが一人で深夜に映画「卒業」を見に行き、阿見寮でも直子とレイコさんに映画の話をする場面が出てきます。ダスティ・ホフマンとスカボローフェアなので「卒業」に間違いないんですがタイトルは言及されません。なんでだろう? その言葉を避けたい何かがあったのかもしれません。『マイバックページ』でも『真夜中のカウボーイ』が重要なモチーフになっていましたが、この1968~1969年の青春を語るにあたってはこの二つの映画は通底音としてまず前提としなければならないのかもしれません。実はぼくはこの映画見たことないので、時間作ってしっかり見ておきたいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA