ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

大学時代に生協に山と積まれていた人文書は、実際のところ学生の身にとっては買って読めるような値段設定のものはごく僅かで、やっぱり学生の読書というのは文庫・新書が中心になるわけですが、それでも「あの頃」はまだ四捨五入して500円にも満たない本は多かったように思いますが最近は文庫本でも700円位が普通の値段なのでびっくりしてしまいます。まあそれはどうでもいいとして、社会人になってお金が自由になり、「あの頃」読みたくても読めなかった本を買い漁っては満足するというのが社会人5年目くらいまで病のように続き、その後は結局その再読。けれど、再読だけが人生だと思う。自分のオリジナルって、結局若い頃にしか形成されないんじゃないか? 残念ながらそれは真実の一端だと思う。だって新しい小説や映画や音楽に感動する機会というのが年々減っているし、そんな時間がまずない。

村上春樹的に35歳を人生のターニングポイントとするのであれば、ぼくはもうその年齢を僅かではあるが過ぎているわけで、別に若い頃の感動を蘇らせたいわけではないけれど、先立つものの中に自分のオリジンを見出したいというのもこれまた。だって、本当に昔のことって忘れていってしまう。びっくりするくらいに。かつては忘れたいとばかり思っていたものでしたが、いまは忘れたくないと思うようになりました。どんなにかっこ悪かったことも。

本書は、題名がすべてを語っています。相も変わらぬ日本人というのが描かれています。平成の最後に、天皇制について考えるのにも結果として好適でした。

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