月別アーカイブ: 2018年5月

村上春樹『村上さんのところ』

を、読みました。

文庫で出ていたので。やっぱりリリー・フランキーのような濃密さはないのだけれど、昔から言っていることは首尾一貫しているよね、この人は。イラストは、安西水丸が亡くなって、フジモトマサルという人になっているのだけれどこの方もまた刊行後に亡くなったということです。後書きを見てびっくりしました。初期の佐々木マキの装画も好きなのでそっちの線ではできないのかなあ。

それにしてもオウム真理教といいなんやかんや時間が流れていくのは早いもんで、うかうかしていると「次代への引き継ぎ」がろくろくできずに同じ悲劇が繰り返されるのを手をこまねいているだけになりゃせんかと心配になってきます。自分にどれくらいのことができるかはわかりませんが、文筆業の方は責任持って本を残していってほしいよね。

シド・フィールド『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』

を、読みました。

気にはなっていたんですけどね。この前、松本花奈さんの情熱大陸を見ていたときにちらっと本棚にあるのが写っていたので(ほんと人の本棚って気になるんだよな)読んでみました。アメリカ映画は殆ど見ないので用例がほとんどわかりませんでしたが、基本はよくわかりました。小説とは、やっぱり違うのだけれど、脚本を書くような涼しい頭で小説も書いてみたいと、シナリオ講座の本を読むたびに思います。

村上春樹『ノルウェイの森』

を、読みました。

もう、本当に何度読み返したかわかりません。一冊で持ち歩きたくてこの全集も買ったくらいなのですが、やっぱり心持ちがしんどくなったり、自分の原点がよくわからなくなったりしてくると手に取ってしまいます。ワタナベにとっての『グレート・ギャッツビー』のように、どのページから読み始めてもすぐに光景が立ち上がってきます。もうすでに青春と呼ばれるような時代とはかなり遠ざかってしまいましたが、それでもこの小説を読むと、お前はあのときの一生懸命さとちゃんと地続きになって日々を暮らしているのか? と問われているようで、身が引き締まる思いがする。そして、周囲の状況にグワングワンに取り乱されている自分を恥ずかしく思う。ただ、自分の正しいと思う生活を淡々とこなしていくだけでも、相当に「タフな」精神力が必要なのだ。何が起こってもひげは剃り、朝食は食べ、読書をする。それを今もちゃんと続けているか? と、問うてくる。

連休で、娘が海に行きたいと言うので葛西臨海公園に行ってきました。
しかし夏日だと思っていたのにとにかく風が強くて、大人の方は寒くて寒くて砂浜で縮こまっていました。本当に子供というのは元気なものだ……。
せっかく風邪が治ったというのに、また無理して薄着でいたので喉がまた痛い。やれやれ。
残念ながら写真はありません。

2018/05/02

連休中日、出社。

長すぎる休みというのがどうしても昔から苦手で、一人でいるとついつい思考が悪い方へ悪い方へ行ってしまい最近は酒ばかり飲んでしまっている。昔はタバコだったけけど、本当に何か、勝手に暴走する頭に冷水をかぶせて水冷する手立てがないとしんどい。それがたとえば、3日休んだら会社に行って仕事をする、ということなのかもしれない。

あるいは、本当に、本を読む暇があるなら小説の一行でも書かなければダメだ!

ぷんぷん

なんかひさしぶりに通読してしまった。田中愛子の存在も大きいけれど、読み返してみると南條幸の物語もけっこうこたえるものがあるな。何重にも何重にも、サブカルクソヤローな自分を嘲笑しながら、そうやって嘲笑している自分をまた嘲笑するような。いつか体力と気力が蘇ってきたらちゃんと「ぷんぷん論」を書いてみたいと思っていたけれど、もうあの焼け焦がれるような焦燥が身近なものとなっている自分をこれ以上想像することは出来ないだろうなあ。かといってマンガの技術論みたいなものはぼくはわからないし。ただ、何度も読み返しては、「あの頃」を蘇らせることにしか役に立たないのだとしても、書架から消えることはないのだと思います。