月別アーカイブ: 2017年4月

長野慶太『英語は恥ずかしいほどゆっくり話しなさい!』

を、読みました。

例の「ゆっくり」を個人的なテーマとしている中で、英語もかくやということで。ただ、ゆっくりしゃべるということは冒頭でちょっと触れられているだけで、「ゆっくり」の意味はもう少し広がりを持っています。つまり、意味のない言葉を間に挟み込むことで自分の思考が前に進む時間を稼ぐ、というのが後半の趣旨。そして、「会話」というのはそういうものだと半ば開き直ります。まあ、「実践的」をつきつめるとこういう右派も出てくるのでしょう。必要に迫られて、例えば会話の相手もまたEnglish as a second languageの場合は、少しまた違うのではないかと推察もするのですが…。しかし会社でも習いましたが、結局は会話の主導権を握るのに喋れる喋れないというのは実はあまり本質的な差異ではなくて、わかったふりをせず、「英語のわからん俺にもよく分かるように話せ!」というくらいのつもりでわからないところは何度でも聞き返せばそれでいいということ。

……などと書評を書いていても別に英語が上達するわけでもないので、英作文&英会話をなんとかせねば……。

高根英幸『エコカー技術の最前線』

を、読みました。

ハイブリッド、ディーゼル、FCVまで網羅的に「エコカー」の技術的なトレンドを掴むのに有用でした。まだまだ自動車特有の基本的に用語に暗いので、例えば「トルクっなに?」とかCVTの仕組みなど仕事で関わったにもかかわらず未だに百パーセント理解しきれていないところなどあり、本書で完結するのではなくて適宜ネットで検索などもしながら(スマホ片手に読書、というのが最近のぼくのトレンドであり……)周辺知識の整備にも励んでおります。表紙は、ミライですね。

ジェフリー・ロスフィーダー『日本人の知らないHONDA』

を、読みました。

エピソードには事欠かない会社のようです。トヨタとは違うやり方でグローバリゼーションの中でのものづくりのあり方を体現してきたことがよくわかります。そして、それはやはり本田宗一郎の基本的な考え方に則ってきたことが、結果としてついてきているということが、こういう創立当初から独自路線を貫いてきた(かつ今現在でも存続している)会社の強みなのだと思いました。北米での成功体験が、やはりこの会社の根幹にあるというのは、無視できない事実だと思います。日本人の知らない、というのはいささかも大げさではなくて、国内の車種と海外各地域で販売している車種とはまるで違っていて、本書にも出てくるリッジラインのいろいろな車体の工夫は、まさにグローバリゼーションの中のローカリゼーションを垣間見せる顕著な例と感じました。とにかく、アメリカのジャーナリストの筆によるものですが、かなり内部事情にまで取材されているようで、日本で発売される企業本によくあるような提灯記事ではまったくなく、読み応えのある本でした。おすすめ。

『最新自動車業界の動向としくみがよ~くわかる本』

を、読みました。

いわゆる就活生向けの業界研究本ですが、内容にかなりムラがあるもののざっと概観するにはこのシリーズはいい本です。あくまで入門です。それにしてももうここに載っている内容すらはやくも古くなっていて、2011年発行で、実はこれの新しい版も出ているのですがだいぶ前に勉強用に買っていたものの再読なのでやむなし。

マイケル・アブラショフ『アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方』

を、読みました。

某ブログ界隈で推奨されていたのですが、単純に、読み物としてまず面白いです。海軍の内側ってこうなってるんだ、そしてそれはぼくたちが日々過ごしている会社という組織と大して変わらないんだ、という発見もあり、そしてそこから、自らの立場を「艦長」とオーバーラップさせながら自分だったらこういう時どうするのか? を考えながら読み進めることができました。

ティップスやノウハウではなくて、組織というものに対する根本的な考え方について、個々のエピソードが能弁に語ってくれているので、たとえば「明日の会議からこれを取り入れよう」というものではないのですが、「あるべき姿」からブレイクダウンされた個々人の動き方・働き方というのを自らデザインしていくことが、管理職の自分としてはもっともっと考えて、働きかけていかなければならないのだなと、感じる一冊。

さっそく風邪をひく

去年も今頃インフルエンザにかかっていたのだけれど、
今年も異動して早々に疲れがたまっていたのかこの土日は
風邪気味で寝ていました。

おかけで読書がはかどってしまった。

筑摩全集類聚『太宰治全集』別巻

を、読みました。

全集の最後を飾るのは、奥野健男の編集による太宰関連の重要論文や交友の記録のアンソロジー。井伏の「解説」は、本当に、記録をつけていたからだとは言え、情景が目に浮かぶようで、壇の変な小説仕立てよりもずっとなにかこの人の太宰に対する思いみたいなものが伝わってきた。そりゃあ、師匠と悪友じゃ違うのかもしれないけど。ただ、無頼派とくくられるよりもずっと以前から太宰には同郷の友達がたくさんいて、彼らの追悼文など読んでいると、「ああ、本当に太宰は死んでしまったんだな」とずいぶん昔の出来事のはずなのに、惜しむ気持ちが湧いてきます。あの当時、ごく身近にいた人間にとって、太宰に自殺で死なれるというのがどれくらい口惜しいことだったのかが、もちろんそれは今だって事情は変わりませんが、伝わってくる文章がたくさん並んでいます。一次資料としての全集の役割としてはこれで充分でしょう。今官一の「碧落の碑」は、本当にいい文章。

そして明日から新年度

桜も咲きましたが、今この瞬間も全国の新入社員がドキドキしながら明日を迎えようとしているのかと思うと、感慨深いものがあります。実はぼく自身も明日から新しい部署での仕事になります。みんなが「ワクワク」しながら、誰かに急かされて萎縮してしまうのではなく、のびのびと仕事ができる新しい年度にしたいなあ。

このブログも、場所は変えながらですが14年目に入ろうとしています。本当に、学生時代の後半から書き始めたものなので、最初の頃の恥ずかしい記述などもたくさん残っていますが、変わらざるをえないものは変わっいくのだし、変えられないものはどんなに頑張っても変わらないのだろうから、いい意味での諦めや達観も強みにしながら、けれど、新しい自分があるはずだという期待も捨てずに、相変わらず、扉を叩いていこう。

筑摩全集類聚『太宰治全集』12

「太宰治」以前の習作編。本当に、作家というのは、いつから作家になるか? この習作自体に収められたのは、自らの出自や非合法運動などに取材した作品が多いものの、それらはその後の、プロの作家となった後に同じモチーフが描かれるかと言えばそんなことはないし、こんな三人称の小説を「太宰治」以前の津島修治が書いていたということがやはり驚き。そこには明確な断絶があるように思えます。幾つかの作品はもちろん、「葉」などで引用されますが、それもおそらくは太宰治の「思い出」的なフィルターをくぐり抜けられたもののみ。だって、太宰がプロレタリア作家であったならば、まだ納得がいくもののみここにはあるのです。「太宰治」がいかにして生まれたのか? 頭の悪いぼくには、この習作集を読んでも、なかなか水脈を見つけることができなかった。