月別アーカイブ: 2017年1月

2017/01/30

月曜日から会社の研修。今回は、某地域の国民性についての講義なんだか面白すぎた。少人数なので、集まってくる人もそれなりにその某地域を好きな人が多くて、ぼくなんかはわりと「お勉強」のつもりで参加してしまったので、周囲の意識の高さにむしろいい刺激をもらった。勉強しなくちゃなあ。勉強というか、本当にぼくはものを知らないので、せっかく本を読むのが好きなのであれば、小説ばっかり読んでないで少しは勉強したほうが良いなあと感じ入った。ついこの前のブログでもおんなじようなことを書いたような気もするけれど、春なのです。

大久保直子『接待・おつきあい入門』

知ってさえいれば済むこともある。

「あたりまえ」のことを「あたりまえ」にやるというのは、我が母校の校訓でしたが、自分にとっての「あたりまえ」をアップデートし、グレードアップしていくということなんだろうな。大人とか社会人とか、そういうことでは無しに、いろいろうじうじなやんでしまうことも、「そんなのやって当たり前じゃん」と人格から切り離して軽々とクリアしていく、そういう身軽さを身につけるには、やっぱり知識、形式知、というかたちでインプットすることが一番効力があって、そういう時、実用書というのは本当に弱くなったぼくたちに寄り添ってくれる一番の友だちなのです。実用書はなめたらいかん、精神論なんかさっさと置いて実用書の書棚にもっと足を運ぶべきだぞ、自分!

水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』短編集

この表紙・・・!!! 精神と時の部屋に迷い込んだのかと思いました。。。まさにリボンの伝統がしっかりとつまっています。それ以上何も言うことがありません。小学五年の時、初めて少女漫画に目覚めたのがこの作品でした。以降、ある時期までリボンを愛読し、この世代のある典型として青春を送ったのでした。

2017/01/27

うっぷ。ちょっと飲みすぎたかもしれないが楽しい飲み会であった。飲み会が楽しいのは久しぶりであった。よかったよかった。

2017/01/26

今日もひたすら作業に没頭。そして予想通りあっちの件はもめたが……まあ、想定の範囲内だろう。なんかこう、もめることよりも、もめさせてしまっていることによって自分の無能さを会社内に開示していることのほうが辛い……我が身可愛さだろうか。なんのためになにをしているのか、もっとよく考えなくちゃな。

明日は久しぶりに緊張しない飲み会なので楽しみである。金曜日を駆け抜けるぞ!

2017/01/25

仕事がなかなかはかどらない。頭を一度スッキリさせなくてはなあ。1月に入ってから何となくだらけてしまっているので、そろそろネジを巻いていかないといけない。一人で放っておかれても前に進めなくちゃいけない。言いたいやつには言わせておけばいい。でも、ちゃんと聞くことから始めるのが大事だ。誰かが決めればそれでいい、という仕事なんてもう今の時代にあってはないのだし、誰かが答えを知っているわけでもないし、働きかけて、その反応の中から考えていけばいいし、自分自身に対してももっとツッコミを入れていかなければ前に進まないよ。でも暗くなっちゃダメだ。朗らかに、自分が一番「エライ」くらいの気持ちで良いのだ。

2017/01/24

もめそうな会議を仕切ったがやっぱりもめた。まあでも良いもめ方だった。議事録ももめるんだろうか。そうやって大人になるしか無いのだな。

しかし今日も寒い。帰りに後輩とトルコ料理を食べて帰る。

筑摩全集類聚『太宰治全集』10

を、読みました。この巻は随想を集めたものです。といってもやはり目玉は「如是我聞」。改めて太宰の自殺直前の動静など、どの程度研究が進んでいるのか気にはなるのですが、まだまだ遺族が公開していない情報も多い中ではなかなか確定的なことは言えないし、言うべきでもないと思います。太宰が死んだのが39歳。学生の頃って観念としての「自殺」ってけっこう身近で、まああのころはメンヘラがインターネットに乗って市民権を得る全盛期だったのでずいぶんいろいろと夭折の美学について考えたものですが、いま実際太宰の年齢に近づくに連れて思うのは、女房子供がいたら自殺なんて考える暇もないよ! というかなり健全な感想でしかなく、明治は遠くなりにけり・・・という感じです。まあ、そのほうがいいんだけどさ。

今日は久しぶりに、雑誌同人の集まりでした。時間を見つけて色々書かなくてはなあ、と改めて思います。読んでくれる相手が今、まだいるのだから、書かなくてはなあ。と、思いました。

2017/01/21

子どものボールを紛失した。失くさないようにお父さんが持っておいてあげるからね、と言ってまんまと失くした。非常にまずい。