保坂和志『地鳴き、小鳥みたいな』

うーむ、小説というよりは、小説を書いていたときの周辺事情をこの人得意の短編に仕立て上げているようなものが連なっているだけで、特段感想はなし。珍しく、「女の匂い」みたいなのもありますが、これはどういう意図なんだろ。そして、大手出版社が出したとは思えないくらいこのセンスのない装丁は何だ……?


六義園・太神楽・フレーベル館

六義園に家族で行ってきました。

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さすがに紅葉狩りの季節で相当な人混みでした。軽食も持っていったので園内の何処かでと思ったのでしたが、人がぞろぞろ目の前を歩く狭いベンチをやっとこさ確保して大急ぎで食べ終える、みたいな感じでちょっとイメージと違い、そもそもそんなことしている家族なんて園内見回してもどこにもいないような有様……。庭園ではあるんですが、順路が決まっていて、通路も人がすれ違うのがやっと位の狭い道ばかり。だだっ広い芝生の中に作られた細い道を大量の人間が蟻の列をなしているという奇妙な場所でした……ちょっと子供連れでのんびりするには向いていなかった。

ただ、出口でやっていた「太神楽」はなかなか面白くて、最初から最後まで見てしまった。いわゆる大道芸なのですが、水の入ったコップを乗せた長い棒を顔の上に載せたり、傘の上で升を回す(昔テレビでよくやっていたやつですね……)など、実際間近で見るとなかなか時間を忘れて声を上げてしまうものでした。

ただし、娘は、六義園の真ん前にあるフレーベル館(元祖アンパンマンで有名な出版社)の売店が一番楽しいようでした。アンパンマンに関係ないものもたくさん売っていましたが、ひととき、展示されているおもちゃに夢中になっている子供を見ているのは心安らぐ。小さい子が何かに夢中になっているのを見ているのは、一方で他の人に迷惑になっていないか常時ハラハラするのではありますが、この瞬間を、大人以上に色々と吸収している小さな頭に敬服する瞬間でもあったりします。この前テレビで宮﨑駿がいろいろと言っていた言葉も去来します。子供にこの瞬間、本当に色々と見せてやらなければ、本当に後戻りできないのだ……。

また天気が良ければ他にも紅葉狩りに行ってみたい。


保坂和志『試行錯誤に漂う』

を、読みました。

いい意味で相変わらずの調子で、やっぱりどうも、素晴らしい。保坂和志が小説を書くようにして、自分も生活したいと思った。なかなかそのように小説を書くのは難しいのだけれど。

とにかく、因果関係とか目的意識とか、そういうものを持たないことなのだ。例えば卑近な例で言えば、ぼくはサラリーマンなのでどうしても会社に行く人そうでない日を峻別して、二項対立で考えてしまう。けれどそれらは一日一日、緩やかにリニアにつながっている。会社にいながら新聞を読んで全然別のことを考えているときもあるし、家にいながら風呂の中で仕事のことを思いつくこともある。会社では仕事だけをやって、家ではて仕事のことは忘れる、なんてことは土台無理だ。だから、平日のために土日があるわけでも、土日のために平日があるわけでもない。ただそれはいきられる時間としてそこにあるだけだ。

そういうワークライフバランス的な思考は、近頃の世相とはもちろん別の話なんだけど、人を必ずしも幸福にしないんじゃないか。ただひたすら考え続ける。手を動かし続ける。それで一生が永遠に続く家のようにいきていく。それだけで、人はいいんじゃないか。金メダルを取る必要もないし、もっと言ってしまえば新人賞を取るために小説を書くよりも、小説を書くというプロセスを日々楽しむこと、それだけでいいんじゃないか。それだけで足れりとする、という小市民的貧乏性ではなくて、堂々と、試行錯誤に漂う日々を謳歌し、フラフラ寄り道していく。


筑摩全集類聚『太宰治全集』7

を、読みました。

この巻は「津軽」「惜別」「お伽草紙」の三本立て。「津軽」は何度か読んでいるはずなんたけど、改めて読み返してみると結構注釈まがいの記述が多くて、案外と「佐渡」とか「東京八景」みたいな現在進行形に物語が展開していく面白さとはちょっと違う感じがします。何となく最後の「タケ」との再会シーンばかりが印象的ではあるのですが、終わり方もこの作者にしては随分とあっさり。

このあたりはそもそも「新風土記」シリーズとして依頼された背景も案外色濃いのかもしれません。後の時代から作品を読む人は、大抵は文庫本で目にするので同時代で刊行されたときの「形式」に無頓着になってしまうあまり、妙な誤解を抱えたままになってしまうこともあるのでしょう。例えば歌謡曲が収録されているアルバムとともに語られるように、小説というのは初刊時の単行本としての顔にもっと意識的であるべきなのかもしれません。


スガシカオ『731(+1095)』

スガシカオによる初期歌詞集。といってもデビューからすると六年分が収録されています。

前に『ハチクロ』のアニメを見返していた時に、改めてスガシカオの曲はいいなとしみじみ感じました。ツタヤで何枚かかりてきたのですが特に「そろそろいかなくちゃ」みたいな、単に会社を午前中だけズル休みする歌なんだけど、やけにしみじみしてしまう。これもまた三十台あるあるかもしれません。

あるいは『ハチクロ』にからめて言えば、初期のアルバムの中に出てくる男の子像が真山巧のモデルでもあるらしいので、もうすこしちゃんと聴くために歌詞を読んでみようとおもい、購入。

本人も書いていますが、「街」というのがよく出てきます。まるで鳥の目になったように、ぼくたちが毎日くだらないことでウロウロしているその「街」を描写するその言葉遣いはとても優しいです。そしてその目は、この今現在というよりもすこし遠くの過去を見つめていて、そしてもう「あの頃」なんてどこにもなくなってしまった「街」をもう一度見下ろしている、そういう眼差しがまあ、三十代の男にはけっこうクルものがあります。

思い出を思い出していた頃を、また思い出す、みたいな。あの頃は、よくあんなことを思い出していたよな、今となっては思い出すことすら少なくなってしまった。村上春樹は、遠くから見れば大抵のものは美しいと言ったけれど、それよりももっと遠くまで歩いてきてしまったぼくは、トボトボと、それでも前に向かって足を踏み出すしか無いのです。


スマホ生活一ヶ月

ようやく重い腰を上げて、スマホに変えたのが10月の頭。悪名高き二年縛りから解き放たれた瞬間、よくよく調べればキャリアメールが使えなくなることと引き換えに月々の支払料金もMVNOの方がどう考えても安いということに気が付き、会社でも極度のアナログ人間と罵られていたぼくがついにスマホに持ち替えてからはや一ヶ月ですが、やはり色々思う所あり…。

「情報を、スキマ時間で消費する」

ことに特化したデバイスだと感じました。それ以上を求めてはいけないし、この性格をよくよく理解しておかないと、結局テレビを流し見しているのとほとんど変わらない結果になってしまう。時間を「浪費させる」には本当に恐ろしい機械だと感じます。

ただ、やはりちょこちょこと短い文章を読む、あるいは小説ではないエッセイのようなものをスキマ時間で読み返していく、という使い方ができるようになったおかげで、ブログのチェックや、エバーノートに溜め込んであるスクラップを再読するのに重宝しています。死蔵させていたファイルを虫干しするというか、つねにアップデートできる準備が手のひらにあるというは、けっこう心強い。

けれど、やはりこれはインプットに特化した端末であって、例えば長文を書くとか、こういうブログのエントリーを書くにはやっぱりきちんとしたキーボードか無いとなかなかできないものです。アウトプットの質を高めたいのであれば、パソコンを使うしかなと思います。

まあ、生活の中の居所というか、収まりどころというのを考え探していましたが、いずれにせよ「備忘」「更新チェック」を効率良くやるのに月千円程度で済むというのはこの時代にいきている一つの幸福なんだろうと思います。

あくまでも自分を拡張するため、行動を促すため、アウトプットの質を上げるためだけに使用されるべきと、肝に銘じながら、かつてのガラケーの郷愁も感じつつ、遅ればせながら現代人になりおおせたようです。

ついでながらauのメールは死にましたので連絡つかなくてこのブログを見ている方(そんな人はいないと思うけど)は、コンタクトフォームからどうぞ……。

ちなみに買ったのは下の機種です。