宇多田ヒカルの新譜を

借りてきました。最近はツタヤに行っても借りたいものもないし(本当に聴きたいものは買うし、とりあえず借りて聞いてみるか、というその「とりあえず」が通じるような余裕もなく…)、ましてや映画を一人で二時間見るなんて時間もないのでカードだけ更新して割と縁遠くなっていたのですが、やっぱり、こう、こういうブログ日記みたいな場で「宇多田の新譜聴いたよ!」みたいなエントリーを書けるのは、30代の一つの幸せなんだろうと思います。これは、彼女と同年代の人たちは誰もが感じているんじゃないかな、そうだといいな。まだあまり感想といえるほどの何かをつかめているわけでもないですが、椎名林檎とのコラボは、他に言い様が無いのですが「うっとり」という感じです。人の声の録音したものがこんなにも耳に心地よく響くというのは不思議なものです。「俺の彼女」も、宇多田にしては珍しく演歌っぽいというか、なんかヤンキー論みたいに聞こえるのも新境地のような感じがします。こういう振れ幅の広さが、支持する層の厚さにつながっているんだろうと思います。


新宿御苑に行ってきました

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新宿御苑に行ったのは10年ぶりくらいでしょうか。学生時代はよくいろいろな人と行って、プラプラ散歩しながら文学談義をするのにとてもいい場所でした。しゃべり足りなくて新宿三丁目の喫茶店に場所を移してまたひとしきり……ということもあったように思います。それからすると、本当に随分と行く機会を失っていたように思います。

もちろん今日は子供と一緒に家族で行ったのですが、あの広大な芝生は変わりなく、バラもきれいで、そして温室だけはグレードアップして建て替えられていましたが、本当に都会のあんな場所に変わらずいつまでも憩いの場所があるというのは守らなくちゃならないことだとしみじみ感じ入ってしまいしまた。子供も、外でお弁当を食べて芝生で走り回ったり、砂利道で小石や葉っぱを拾ったりして楽しんでくれていたようです。


筑摩全集類聚『太宰治全集』6

を、読みました。

6巻目は「右大臣実朝」がメイン。これもまた史実に疎いぼくにはどこまでが創作なのかはわかりませんが、けれど基本的なスタンスというのは「駈込み訴え」と同じで、みんなが思っている偉い人のイメージというのも、本当にただ作られたものにすぎないということを、これは当人をこき下ろすという下品な手法では全然なしに、すっとぼくたちのすぐそばにまでキリストや実朝を持ってきてくれて、その人間臭さを嗅がせてくれる。これを文字だけでやってのけるのが小説家というものの小説家たるゆえんなのでしょう。


部コンペ

とりあえず142で終わりました。うまくいくホールもあったり、パーオンまでは行けてもそこからグタグダになったりすることも多いので、少ない武器(7I,S,A)で戦うにしてももう少しムラの改善が必要と感じる一日でした。それにしても背中が痛い。まあ、自分なりのペースで、これからもやっていくことにしましょう。楽しむことが先決だと、そう思えるようになるまでも結構時間と練習がいるというのはなかなかに味わい深い不都合な真実であったりします。


筑摩全集類聚『太宰治全集』5

なにしろ高校生の時に一番読んでいたのが「正義と微笑」である。新潮文庫の解説には青春小説とは大人が読み返すべきものなのかもしれない、などと書いてあった記憶もありますが、おじさんになった今読み返してみてもやっぱり面白い。原案となっている個人の日記にどれくらい寄りかかっているのかわからないのですが、でもここにある、一本貫いている太い声はやはり太宰そのものに思えてならないんだよなあ。

本巻に修められているもの辺りからもっぱら戦時中に書かれたものが増えてきますが、後記を見ると、戦後表現を書き換えられたものも少なくないようです。太宰は政治について直接的にはほとんど発言をしていませんが(同時代人の誰それの発言がどうとかいうたぐいのことは言いませんでしたが)、戦時中にありながらあれほど明るい小説を書き続けていた作者の戦争に対する思いは、なにか先行研究があれば読んでみたいものです。