月別アーカイブ: 2016年9月

筑摩全集類聚『太宰治全集』4

「新ハムレット」は、沙翁の「ハムレット」を読んでいないのでなんとも言えないところもあるのですが、この時期の太宰の真骨頂という感じがします。初期の、特定のモチーフに対する偏執狂的な解剖は鳴りを潜めて、そのかわり、「作家」という営為に対する戯画を通じて、小説家が「私」を用いていかに読者との間に様々な駆け引きを仕立て上げ、二重三重に虚構を舞台の中の舞台のように組み上げていく技術的な充実が光っています。一方で、この時期は戦争前夜であり、世の中が如何に動乱に明け暮れようとも作家は作品を書いていくのだという決意もところどころに見え隠れします。

おまつり

地元と言っても、賃貸住まいなので別に町内会に入っているとかではないのだけど、まあまだ子供も小さいしそういうのとは無縁のまま過ごしている。知覚に家を買った先輩もいて、この人はどうやら毎週何らかの行事に駆り出されているようなのだけれど、ちょっと街区が違うので、先週は向こう側でお祭りがあったのだけれど、今週はこっち側でお祭りがあり、お神輿など見れてなかなか良かった。

良かったと言えば、ホコ天にして和太鼓を地元の人が(それこそ老若男女)披露していたのだけれど、それよりゲスト出演に来ていた早稲田の学生の一生懸命さになんか胸を打たれた。若い人が何かに一生懸命になっている姿を見るのはいいものだと思った。そしてこの私もそんなことを感じる年齢になってしまったということに今更ながら。

そんな日曜日。

『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』

ついに買ってしまった。。。ついに読んでしまった。。。

悪くなかったです。むしろ良い方でした。かつて予備校の恩師の言葉「今しか役に立たないからこそ勉強する」という言葉や矢井田瞳の「哲学は二つもいらない」といった歌詞など、歴代のぼく自身のものの考え方に影響を与えてきたであろう様々な言葉たちが、本書の様々な言葉に誘われるようにして記憶の奥底から蘇ってきました。

再読すべき本だと思います。今はまだ、自分の中で咀嚼できていません。けれど、咀嚼して、実践することが大事なことなのだなと思わせるところが、他の自己啓発書と違うところなのかもしれません。

恐らく総体として実践しなければ意味がなくて、「課題の分離」も「共同体への貢献」とセットでなければ意味が無いのだと思います。独我論のように読んでしまうとそれは誤解で、一番大事なのは「もっともっと大きな何かに貢献しようよ」という誘惑なのだと思います。それに乗っかっていれば、誰かから反発を食らったりというのは些細な事なのかもしれませんし、人類という共同体が少しでもより良い場所になっていくという肯定感があれば、もうそれでいいのでしょう。アドラーの世界には多分、偽善も偽悪もないのです。

続編も総じて同じ調子で、主語を「私たち」にするとか、「愛」とかの概念は、地球規模の共同体への貢献という文脈で理解されるのだろうと思います、ただまあ、家庭においてはそれなりに活路を見いだせますが、会社生活というのはアドラー的にはどう捉えればよいのかちょっとまだ分かりかねるところがありますね。現実問題として、不信感や性悪説をベースにしなければ会社って成り立たないところはありますので、そりゃ社員全員がアドラーに則っていたらもちろんユートピアなんでしょうが。

もう少し、長々と感想を述べるには時間がかかりそうです。

筑摩全集類聚『太宰治全集』3

どしどし読める。「走れメロス」を中心にして、この時期の作品は明るく、そしてまた暗かった自分を笑い飛ばせるくらいの力量を持ち始めます。「畜犬談」とかほんと好きだったなあ。「駈込み訴え」もこれだけは世界文学のレベルにあると今でも思います。

筑摩全集類聚『太宰治全集』2

[

自身の厳しい過去を何度もモチーフを変えて、人間関係や性別すら置き換えながらも何度も描くというこの悲しさを先ずは愛したいと思うのです。書かなければ消化できない、昇華できない、というのが私小説作家の持ち味であり、宿命であり、あるいは芸であり、カネになる持ちネタではあるのでしょうが、「なんちゃって」と舌を出しながらも何度も書かざるをえない作家という生き物の習性を、いやというほど読まされます。39歳で死んだ太宰は、30台を新しい結婚生活で始めましたが、それでも20代で経験した心中未遂のことを忘れられずに書き続けていることに、まず読者は思いを馳せなければならないのでしょう。忘れたくない。それももちろんあるのでしょう。書かなければ、忘れてしまう。30代ってそういう記憶の危機感との戦いでもあるのかもしれません。

観劇

いろいろしがらみがあり、十年ぶりに下北沢なぞに行ってきました。

劇は、わりと書き言葉優先というか、考えさせる展開でなかなか息を抜けず。人間関係を追わないといけないのが面倒くさかった。劇団の脚本がそういう持ち味なんでしょうが。最後、色々説明してくれたんだけど、それをそのまま受け止めるならハッピーエンドなんでしょうが、すべて作り話のように思えました。だとしたら結構えぐい話です。道徳的なメッセージを発しているように見えながら、一番自分をかばって何も言わないでいるのは主人公のおっさんであるようにも解釈でき、だとしたらけっこうえぐい話だよなあ。。。と、再度戻ります。役者不足なのかもしれませんが、必要ない人物がドタバタして、けっこう最初に大事な役割を負っている人が最後まで人物として出てこないというのもちょっと変な感じだし、あと一人女の人を客演で迎えていればもっと面白くなっていたんじゃないかな。

そんなスズナリ。