月別アーカイブ: 2016年6月

伊藤丈恭『緊張をとる』

を読みました。本屋にもたまには行って見るものですね。最近モヤモヤとしていた問題意識にビシっと入り込んでくる本でした。曰く、「頑張らない」「ゆっくり急ぐ」「集中力」「自然体」「無理な力を入れない」……これは人生の実用書だと思います。変な形式の本ですが、じわじわと言葉の一つ一つが効いてくる感じ。アマゾンの書評には『嫌われる勇気』にも似ているという記述がありましたが、私はそちらの本は読んでいないのですが、何となくわかる気がしました。とにかく自然体で、等身大の自分を思考の出発点とすること。無理な頑張りではなくて、一歩一歩進んでいくことが大きな目標に繋がる、その一歩をまずは気軽に踏み出してみる……そういったことが演劇のワークショップ的なノウハウから導き出されいます。人生という大舞台に立った時、いかに緊張をほぐし、必要なリソースに集中するかがよりよい人生を生きる上でのひとつの「コツ」であり、それかせもしかしたら「幸せ」とやらをもたらすのかもしれません。成井豊のワークショップ本に引き続いて、ひさしぶりに心にヒットしました。演劇的なアプローチで人生を見なおしてみるというのも、本当に有効かもしれません。平田オリザの新書とかちゃんと読んでみようかな。この方面についてもう少し深く考えていきたいと思います。

2016/06/26

部屋の模様替えで少し広いテーブルを使えるようになった。あいかわらずmbpに安物キーボードを繋いで使っているが、このスタイルもだいぶ定着してきた。机が広いとなんとなく気持ちに余裕が持てる気がしてくる。

頭の片隅で仕事のことがずーっとこびりついていてずーっと気になって仕方がない。こういうのは久しぶりだ。やるべきことの方法がわからないのではなくて、そもそも自分の仕事の価値というか、本当はもっと「そもそもこれってなんのためにやってるんだろう?」ってどんどん問い詰めていかないといけないのだけれど、先回りして他の人にそれを問われていて、それに答えられない自分が悔しい。けれど簡単な答えにすぐに飛びつくほど知恵がないわけでもない。このアイドリング状態もいつまでも続けているわけにもいかない。

けれど人生は、もっと他にやらなければならないこともあるし、脳みそのリソースをこういうことに取られていると、自分が本当に欲していることを見失ってしまいそうな気もする。なんのための人生? なんのための仕事? 自分が一番優先すべきもののために、他を割り切ることはできるのだろうか?そもそも。

2016/06/25

金曜日はあまりに仕事が終わらなくて、タクシーで帰って三時。土曜日は粗大ごみを出さないといけなかったのでなんとなくまんじりとしていたら四時くらいになってしまい、本格的に寝るのを諦めてゴミ集積所との間を夜明けの薄明かりの中重いものを持ってひたすら往復。その後就寝。

今日は会社の後輩の結婚式があり、六本木へ。ぼくのCメールがうまく送れていなくて(どうもCメールは時々信じられないくらい遅延する)久しぶりに同期とゆっくり話をしたかったがかなわず。すまんかった。同期の結婚式というのはここ数年で大体片が付き、これからは後輩の結婚式に出ることが多くなるんだろうな。もっと年取ったら部下ってことになるんだろうけれど。余興はいろいろいいものを見させてもらいました。ぼくは根暗の文化系だったので、世の中にはあんなにキラキラした人達がいるんだなあと、言葉通り、知らない世界を垣間見た感じ。

六本木のABCも5年ぶりくらいに行ったけど、ちょっと配置は変わっていたものの(漫画はあのロフトみたいなところになかった気がする)六本木らしさがビンビンと伝わってくる書架を楽しめました。そういえば新潮で蓮實さんが話題になっていたけど、選評見たら平野氏は推していなかった。

寝不足なのでそろそろ寝る。

2016/06/21

うーん、ここにきてなんか仕事のやり方がわからなくなってきた。考える時間がほしいのだが、アウトプットを出さないと何もしていないと見なされてしまうので、なんとなく問われた時用のために裏でせこせこ作業をやっているのだけど、この土日に睡眠時間を削ってやった作業も日の目を見ないようだし、かと言ってこればっかりやっているわけにも行かないし、そして年を取っていくに連れて夜の集中力も途切れてくる。3〜4年前は、夜11時位になるとムラムラやる気が湧いてきて、「うお〜! ここからが今日の始まりだ〜!」とか一人でフロアーで吠えていたものだけれど、そんな気力ももはやなく。

年次が上の人に気軽に聞きに行ったり、キッチリしきって若い人たちに仕事を任せたりというのが前ほどできなくなってきたなあ。守りに入ってしまったということなのか、自分に対するイメージが悪化しているのか、人を信用しなくなってしまったのか、いろいろあるんだろうけど、非常に状況として良くない沼にはまり込んでいる気がします。

ぬけ出すためにはやっぱり演技の力なのかな。役者であること。インプロを!

『現代文学理論―テクスト・読み・世界 (ワードマップ)』

を、読みました。再読。

卒論の時に図書館でよく借りて読んでいた本なのですが、何となく手元にも置いておきたくて買ったものでした。当時ぼくは物語の行為項分析にドハマリしていて、さながら手に入れた金槌で何でも打ってやろうという意気込みだけで卒論を仕上げたものでした。諮問ではこの部分は不要と言われたのを今でも思い出します。自分でも薄々気づいていたのですが。それにしてもグレマスの本家本元はついに再販されず、いつまでも高値で取引されています。

筑紫哲也『スローライフ』

を、読みました。

さすがにジャーナリストとしての視点に貫かれています。都会人の単なるライフハックとしてのスローライフではなくて、「地産地消」という一つのキーワードを元に、日本の様々な地域での実践に取材し、あるいは自らが推進者となった活動の記録が語られています。

副題の「緩急自在」という言葉には案外と大きな意味合いが掛けられています。スローであることを大義として振りかざすのではなく、スローもファストも「自在」に操る、自らが在ることをまずは起点としてスローとファストを使い分けていく、それが二元論に陥らない最大のスローガンでもあるように確かに思えます。

巻末の「ルール」は再読三読味読すべし。

Scott Berkun『アート・オブ・プロジェクトマネジメント』

発売当初に買い求めてむさぼり読んでから既に十年立っていることにいまさらながら驚く。まだ「ぴんぼっく」なんて言葉も市民権を得ていなかった当時に、プロジェクトマネジメントについてここまで実務に則した本が発売されていたことにも驚く。この前池袋のジュンク堂に行ったら、IT系の新入社員向けのおすすめ本として平積みされていて、流石に古びていないことにもまた驚く。

仕事というのは実務に落とし込まれなければ意味ないし、ぼくの回りにいた尊敬すべきいわゆる「仕事のデキル大人」というのは多くの場合優れた実務屋だったこともあって、プロジェクトマネジメントについてはそれを比喩として援用しながらずいぶんと自分が仕事を進めていくうえでも参考になったし、いままた読み返してみて、いろいろなTIPSが散りばめられているのを拾い読むだけでも随分と勇気づけられる。このやり方で、自分は仕事をしてきたし、このやり方を洗練させながら、あるいは様々なスタイルを使い分けられる人間としての大きさを目指しながら、ぷらぷらと定時後のフロアを行ったり来たりして節操ない自分を演じていきたい。

関岡英之『なんじ自身のために泣け』

これを最初に読んだのは社会人一年の目の頃でしたが、当時の著者の年齢に私も近づいてきている。サラリーマンをやりながらも(ちょっと特殊な例なのかもしれないけれど)やろうと思えばこれだけの体験を会社の外でできるのかと思うとこの作者の探究心というか、好奇心には脱帽する。程よい謙虚さと人間に対する丁寧な作法を持って世界のどこにでも出かけていくスタイルは見習うべき、同じことをしろ、ということではなく。

本書の中にもたくさんの本が登場するのでいろいろ読書の幅を広げていきたい。社会とか世界のことには本当に疎いので。本書がデビュー作に当たるけど、アマゾンで検索するとその後次々と著作を世に問うている。新書もあるのでまた読んでみたい。

村上春樹『村上ラヂオ3』

『熊を放つ』にシェーンブルン動物園が出てくるのならぜひ読んでみなくちゃな。

小澤征爾さんのエピソードはなかなか染みました。若いころの苦労の味って忘れられないものなんだろうなあ。ブルーリボンビールについては、ここなどで紹介されていますが、アメリカってたくさんビールの種類があるんですね。うまいものからまずいものまで。

あと唐突に木山捷平が出てきましたが、村上春樹の日本文学に対するアプローチってけっこう唐突というか、「えっ、村上春樹ってそんなのまで読んでるの」という驚きが大抵いつもついてまわります。いわゆる名作のたぐいを引き合いに出すことは少ないですが、密度のある中短編なんかは好んで紹介しているような気がします。木山の場合は詩ですが、気取りなく、好きなものを紹介するスタイルはいいですね。これもちょっと読んでみようかな。

休みの日

土曜日は色々と週末のゴタゴタが重なってあまりにも体調が悪く、一日中寝ていた。子どもに本を読み聞かせながら寝ていた。ショック。

日曜日は元気になったので「さあ今日は休日出勤するぜい!」と勇んで会社に行ったら、法定点検で全館停電。

こんなこと書いている前に、さっさと寝て明日は始発で会社に行かねば。

などと書いている自分に一番腹が立つ。お前の残業なんてなんの価値もないのに。