ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』: 第一次世界大戦と『論理哲学論考』

を、読みました。

これを読むために前のエントリーで『論理哲学論考』を持ち出したりしていたのでした。本書は、書中にある「テクストについて」でも紹介されている通り、これまで遺産管理人たちが秘匿してきたウィトゲンシュタインの「私的な」領域についての日記を本邦初、完全邦訳したある意味で研究者の間では「事件」と言ってもいいくらいの一冊なのかもしれません。

もちろんぼく自身は研究者でもなんでもありませんが、やはり『論理哲学論考』を読み通した時に感じる6-4以降の座りの悪さについて、本書を読み通すことで解のきっかけになりそうなヒントはたくさん紹介されています。それは戦争体験であり、友人の死であり、あるいはそれを通じて著者が祈念した宗教的な「高み」なのかもしれません。いずれにせよ、従軍体験のさなかに「論考」の原型が構成された、その従軍中の日記の邦訳ということともなれば、「論考」をた字面だけ追っていくだけでは理解できなかった何かが、つかめるように気がします。

繰り返しになりますが、研究者でも何でもないぼくがこれを読んで感じるのは、たとえば一つの著作が立ち上がる現場の生身の人間の息遣いを感じる面白さであったり、あるいはエリック・ホッファーのような私的な部分を出発点にした思索の生成の一つ一つを追うことの面白さであったりを味わえるからなのですが、それが邪道な読み方であったとしても、「論考」を一度は目を通したことがある人は読んで損はないと思います。

──なにはともあれ、丸山先輩、陰ながら応援しております……。


ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』

を、読みました。

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」というあまりにも有名な惹句と初めて出会ったのは、大学に入って一年目の、本当に最初の学期だったように思い出します。駒場では、この言葉をテーマとした連続講義が行われていて、今では記憶も不確かなのは、さすがの内容の高度さに正直ついていけなくて最後まで聴講しなかったのかもしれません。

その後、奥付を見ると2003年に野矢茂樹による本書の新訳が岩波文庫として刊行されたのは、文学部に身を置いていた者としてはそれなりの大きなニュースでしたが、何度か本屋でパラパラとめくっては書架に戻すということを繰り返すだけで、本書に対する敷居はそれでもまだまだ高いものでした。なんといっても、文庫本の半分が本文で、半分が訳注なのですから。

いわゆる論理学を修めた人が読むとどう読めるのかわかりませんが、現在の使用法とは異なりながらも、論理学の原型のようなものが展開されたあとで、特に「6」で始まる最終章については、それまでのつながりとはかなり内容的に飛躍があるように見えます。それでもこの本がたんなる「論理学」の論考ではなく「論理/哲学」の論考であるからには論理の中にある哲学、あるいは哲学としての論理学というものを示したかったのかもしれません。

言語の限界が「私」である、という考え方はある種潔くて、「非言語的なものも含めて私だ」という反論は当然ありえるのですが、ぼくにはむしろだからこそ言語で表現可能なフロンティアを拡充することに対する清々とした宣言にも聞こえます。自分がより良く生きていくうえでのツールとして哲学を考えるのであれば、独我論(という限界)から出発していったほうが良いようにも思えるのです。


荒牧裕一『ビジネス会計検定試験1級予想問題集』

ちと最初に取り組むにはレベルが高すぎた。自分を過信せず、わかるところから勉強したほうが良いと感じた春の一日。

試験としてはたぶん、いいものなんじゃないかな。簿記よりは多少サラリーマン向けのような気がします。


濱口桂一郎『働く女子の運命』

を、読みました。

「女性/総合職」の問題にまでおよぶ女性の働き方についての歴史的な変遷も含めた論考となっています。文春新書ってあんまり読まないんですが、これはいい本でした。結局題名にもある通りこれまで──というのは、戦前まで遡る「これまで」ということになるのですが、働く「女性」とは「女子」であり、夫があり子供がある「女性」が働くことについてはむしろ問題にすらされてこなかった歴史的背景には、まず知識として知っておくべきものが多くありました。良くも悪くも、雇用というのは雇用する側の都合でしかないというのが、まあ自由主義といえば聞こえがいいのかもしれませんが、放っておけば効率という名のもとに使いやすい人間だけを使いまくって終わる、ということになりかねません。女性の問題は、結局は男性の、あるいは「総合職」の働き過ぎが必ず裏についてまわるというのも、悲劇といえば悲劇。

理想を言えば、夫婦共働きで、個人個人が個人の能力に対して賃金が支払われる社会が良いのでしょうが、保守的な言い方をすれば夫婦が同じ家に住んでいることを大前提・大原則とするならば、日本中の会社が中途採用を積極化し、メンバーシップ的な会社のあり方を辞め、社員の出入りをもっと自由にするということが求められるんでしょう。たとえば夫婦で九州で働いていて、夫が東京に転勤になった時、九州に夫婦として残りたければ夫はすぐさまその会社を離れて九州の会社に転職できるような(そのことになんの罪悪感も無いような)、あるいは東京に夫婦の基盤を移すならば妻が東京に転職することが容易な社会とでも言うんでしょうか。

もちろんそういう社会が到達した時には、仕事も家庭も同等に男女が負担する代わりに、賃金も、これまでの一般的な男性正社員は相対的に下がってもしかしたら扶養家族を扶養できないレベルになってしまうのかもしれない。でもそれが、これまで家事労働を女性に社会全般が押し付けてきたツケなのだろうし、一方で男性は自分の会社での労働時間を制限して家事を家庭から「奪還」しなければならない、そういう義務すら負っている。本書では、そのためには「ワークライフバランス」という言葉だけを換骨奪胎せず、制度として、厳しく男女問わずに労働時間を制限することがまずは条件だと言っています。

ぼくもこのブログでは何度か書いているかもしれませんが、とにかく総合職が胸を張って定時に帰宅できる会社・社会。これをいかに実現するかなんですよね。なかなか解がなくて難しいのですが、引き続き考えていきたい課題です。


四月

四月から仕事の担当替えがあって、あまり今まで実務としては触れてこなかった世界に突入している。毎日いろいろやり残しているけれど、一個一個をよく調べていくと、一つひとつの仕事が確実に力になっているのがよくわかる。こういう感覚がないと、なかなか仕事ってやってられないものです。個人的には、本当はもっと人を動かして色々やらなければならない立場にも慣れていかないといけないのだろうけれど、どうしても「実務屋」としての魂が、おそらくは入社した時の会社の風土にもよるのだろうけれど、黙っていないというか、実務に落とし込めないものは仕事にあらず、みたいな妙なこだわりを捨てきれない。もちろんエクセルをいじっていろいろと「発見」していくことも好きな瞬間ではあるのだろうけれど、仕組みを作って、次世代に「発見」の喜びを伝えていくことも大事な仕事なんだよな、と、宿題から逃げ出して丸善を歩いていたら新入社員向けの書籍が沢山並んでいね春の風景の中で立ち止まって色々と考えこんでしまう。

まあ、そういうのが四月という季節なんだと思います。


西任暁子『本音に気づく会話術』

を、読みました。西任さん三冊目になります。

「ホンネ」というのは、あらかじめ心に中にあって他人が無理やり外から手を突っ込んで探りだすものではない、というところがミソでした。「ホンネ」というのは、もしかしたら喋っている本人だってわかっていないもので、そのつまらない波風が立たない「深海」に向かって、言葉という道具を使って、会話の場にいる者がゆっくり丁寧に発見していくものなのだ、という視点は素晴らしいと思いました。

幾つかのテクニックは紹介されていますが、やっぱり人は思った以上にちゃんと言わなければ相手にはなにも伝わらない、ということですね。コミュニケーションについては「言い過ぎ」というのはないのだな、とまるで新入社員の研修のようですが、あらためて人と相対するときの自分の姿勢について考えさせられます。

最近自分の中で「テーマ」になっているスローということについても鑑みれば、面倒臭がらずにゆっくり焦らず言葉に一つ一つしていき、事実を確認し、感じたことを述べ、相手の行動を促していく、ということを本当に面倒臭がってはいけないということだと思います。

当たり前のように思えますが、大事なのはここに書かれてあることを実践していくことだと思います。そしてそれは、いまからでも可能だ、ということですね。意識をして、いずれその「会話術」が身についてしまえば意識にも登らず自然体で「ホンネ」にたどり着けるようになると信じて、「対話」とその「発見」を楽しんでいきたいと感じました。


中村澄子『ウォール・ストリート・ジャーナルを読んでTOEICテストでぐんぐん得点アップする方法』

を、読みました。

前に紹介した文庫本よりもこっちの方を先に読むべきでした。問題に対する回答もそれなりに充実しているし(いわゆる「TOEIC風」ではあるのですが)、ボリューム的にもなかなか読み応えがありました。これぐらいのレベルの文章を常日頃からちょいちょい読む習慣をつけておくと、いいんでしょうねえ。これにかぎらず、TOEICにこだわるつもりもないのてすが、自分の興味に即した英語の勉強も継続していこうと思います。


村上春樹『村上朝日堂はいほー!』

を、読みました。

同シリーズの前の二冊に比べて媒体が違うというのもあるんでしょうが、だいぶ「めんどうくさい」文章が入っています。あまり寝転がって気楽にパラパラページをめくるという感じでもありません。

特に割と最初に出てくる「青春と呼ばれる心的状況の終わりについて」なんてなかなか鬼気迫る感じの文章です。個人的には、青春というのは、青春にかぎらず何でもそうだと思うんだけど本人が「終わった、終わった」と騒いでいる間は全然終わっていなことが多いんじゃないでしょうか。終わったんだなあと懐かしんでいた頃が、ようやく懐かしくなって、本当に終わるんじゃないでしょうか。それは音もなく訪れるのだろうし、劇的な何かが起きるわけでもないのでしょう。知らない間に、青春は終わるのだろうし、終わらせることもできないというのが、本当なんじゃないかなと、ここだけは強く思いました。


インフル顛末

なんと五年ぶりにインフルエンザになり、五日間臥せっていました。土曜日に起きたらあまりにだるいのでそのまま風邪薬飲んで寝ていたら熱がどんどんあがり、これはまちがいなくインフルだ……と思って休日診療に行ったらB型と診断されました。

熱が上がったり下がったりするので、ちょっと調子が良くなって「もう治るのかな?」と思っていたらまた熱が上がって布団かぶってないといられないという感じだったので、なかなかにこたえました。一番しんどかった火曜日を超えたらようやく熱がちゃんと下がりましたが、37度と38度の間を四日間も行ったり来たりするのは地獄以外に例えようがありません。今日からはすこしずつ食事を取り始めて、なんとかいまは平常運転に近づきつつあります。

もちろん明日から会社。金曜日ですが。

いやしかし年度替わりからこんなことになるとは思っていませんでした。ちょっと調子がでてきてからは軽いものが読みたいと思ってハルキのエッセイなど読み飛ばしていました。

もうなんかね、あんまりムリしないで仕事も適当にいきたいですね。

健康第一。