アラン『幸福論』

古本屋ではよく見かける現代教養文庫ですが、社会思想社ってまだあるんだっけ? よくわかりませんが。こちらも昨日と同様、心が弱っている証左。

・礼儀とは不機嫌を微笑に変える魔法
 人間関係なんて微笑一つで随分と良くなるものだ
 →自分の不機嫌は認めつつも「礼儀」に乗っかるのは人間の一つの知恵
 →人間は連鎖する生き物
・自分で勝手に描いている予見、印象を「虐殺」すること
 →事実をすべての出発点とすべし
・大急ぎの旅行は意味ない
 →細部を見よ、同じものを立ち位置を変えてみよ


齋藤孝『「できる人」の極意!』

定期的に齋藤孝を読み返したくなってしまう自分をまずはなんとかしたいのですが、文学部とビジネスを直線でつなげてくれた氏の言葉の数々はいまもってなおも力強い。そのことは認めなくちゃならないんだろう。でも、それはまだスタート地点なのだ。

・他者に対する配慮=美意識 そういう言葉を発しよう
・人が間に一人入るたびに伝達内容は半分になる
 →大事なことは何度でもしつこいくらいに言い続けよう
・本来若手は部長クラスのすぐ隣りに座って技を盗まなければならない
 →年次や配席にとらわれすぎないようにしよう
・感想戦=メタディスカッション
 →会議の後には「いまの会議はどうだったかな?」ともう一度問いかけてみよう
・上司というのはコメント力で金をもらっている
・アイデアは「○○プラン」「○○コンセプト」など、個人名でキャッチコピーっぽくしてみよう
・会議資料は書き込みで「自分のもの」にしよう
・レスポンスの良さ=自分の頭の範囲で物事を理解しようと狭めないということ
 見る前に跳ぶということ、やる前から理解したと思わないこと、どんなことでも!

こんなところかな。


羽海野チカ『ハチミツとクローバー』

もう散々読んだのに、急に思い出した様に読み返したくなったのだけれど、やっぱり劇薬だ。この物語に対する言葉をぼくはまだ失っていないのかもしれない。いや、ただ、ひところに比べれば頭のなかはすっきりしてしまったというか、当時の問題意識というのはどこかへ消えてしまったのかもしれない。今これを読んでいて、これは結局花本修司の物語だったんではないかという気もしてきた。彼が、浜美を卒業し、教師としてまた古巣に戻ってきた時の様子は物語の始まる前の出来事だけれど、10巻では丹下先生の口から「出口を失くしてここで動けなくなっているだけに見えとった」と語られる。はぐみを連れて来て、修司はむしろはぐみを救おうとしていたのだけれど、救うことを通じて自分が救われ、そして図らずも窮地に陥ったはぐみを今度は救う役目を引き受ける。それは、恋愛と言っていいものなのかわからない。前にも散々書いたけど、森田との関係が恋愛にはならなかったように、修司との関係も恋愛のようでいた恋愛ではない、いやあるいは恋愛の先にあるものに一気に行ってしまったというべきか……。そして修司は浜美を去る。ハチミツとクローバーという物語は、それぞれの登場人物の中で引き続いて行くのだろうけれど、奇跡のような彼ら・彼女らが一つの場所にいたということ、一つの季節をともに過ごしたということの尊さを、書かれていないこの10巻の物語の前後に思いを馳せることで、今更のように感じる。ここに出てくる登場人物たちが再び同じ顔を揃えて一つの場所に会することはもうないのだろう。山田さんはもしかしたら野宮さんのところへ行くのかもしれない。竹本や森田はそれぞれの仕事を極めていく。そこにかつてあった揺らぎ続けた三角関係はなくなり、安定へと向かうのだろう。それはもはやはちみつとクローバーではないのかもしれない。でも、例えば三十代という季節は、それぞれがそれぞれのはちみつとクローバーを抱えていて、そして時々思い出したくなる頃なのかもしれない。なんのために? 自分を思い出すために。


平野啓一郎『文明の憂鬱』

再読。著者初期の時事ネタ集。だいたい2000年代初頭を中心としているので、ぼくも大学生の頃だ。図らずもなのか、後年の作者の小説のモチーフになるテーマがすでにこの時に色々と出てきている。本人の興味というのは、小説という形になるまでなかなか外に見えないものだけれど、小説という形でしか作者を知れない読者というのは随分と「遅れて」しまうんだな、という感じがする。ぼくたちが『日蝕』を読んでいる頃にはすでに作者の頭のなかはドラクロワや義足やカフカにあったのだから。椎名林檎なんかもそんな感じだったんだろうな。


小泉十三『頭がいい人のゴルフ習慣術』

指南書ではない。ただ、なんというかゴルフに関するボキャブラリをもう少し自分の身近なものにしておく必要があると思い、とりあえず古本でゴルフに関する新書を買い漁った(漁った、というほどではないが)。出張の行き帰りで読了。ほんとサラリーマンみたいで困る。空港のテレビで日本オープンをやっていて、ぼくの前に座っていたおじさんがゴルフ雑誌を片手に休んでいた。そんなふうになっていくんだろうか。


ゴルフ結果

180行きそうでした・・・練習したんだけどなあ。
ドライバーはぜんぜんあらたないし、アイアンも草の上だと練習場とぜんぜん感覚が違って手こずりました。周りが広いと、どうしても身体の動きが大げさになってしまい、練習場のイメージを忘れてしまう。なんといっても下手くそなので急がないといけないので、一打に全然集中できない。よって練習でできたことを忘れてしまう、という悪循環。体に覚えさせないとしんどいなあ・・・。はあ・・・。まだ次があるのが辛い。


神田秀樹『会社法入門』新版

今となっては旧版をこの前読み終えたばかりだというのに新版が出てしまったので再読のつもりで買い直す。やっぱり法律は難しい…というか、なかなか頭に入ってこない。七回読まないとダメだ。コーポレート・ガバナンスコードについてもうすこしつっこんで勉強したかったけど、帯の文言に反してさらっと触れられているに過ぎなかった。


平松茂雄『中国の安全保障戦略』

ふだんあまり触れる機会のないジャンル立ったので面白く読んだ。寡聞にして著者のことはよく知らないのですが、中国の軍事研究の第一人者のよう。あとがきでも述べているように、これまでの著者の研究の集大成ということで、巻末の分厚い著書・論文目録に至るまでの本文も、なかなか噛みごたえのあるもの。歴史的に、ソ連、アメリカ、台湾との関係やそれを軸としたアジア諸国、日本などとのつきあい方も変わってくるというのが面白い。外交政策が明確に「変わる」のがわかるのが中国の面白いところだね。なんというか、日本みたいに国会でヤンヤヤンヤやってというのが見えなくて、いきなり大方針が出てきて、あっちこっちと動いていくさまが、国が一人の人間のように見える。それは一党独裁のなせる技なんだけど、そのわかりやすさが、その意味においては、日本においてももう少しあってもいいように思った。というか、よく知らないけど内閣のプレスリリースみたいなのってどっかあんのかな? 昨今の「戦争法案」も、新聞だけだとなかなか中身がよくわからないというか、公式見解が文書としてどこかにあるなら見てみたいんだけど、マスコミという色眼鏡を外した状態の一次資料。そういうのをきちんと定期的にチェックできるものが欲しいね、人民日報でもいいからさ。それにしてもこう、中国の政策ってキャッチフレーズがわかりやすい。そのわかりやすさは多分、相当に練られ。計算されつくされたものなんだろうけど、最近の「新常態」とか「一帯一路」とかさ、漢字文化圏ならもう少し共有してもいいんじゃないか、このキャッチーさは。


熊野整『外資系投資銀行のエクセル仕事術』

あまりにエクセルの凡ミスが続いたので初心に戻るべく購入。「外資系」だの「ハーバード」だのタイトルに入っている本ははっきり言って眉唾ですが、期待値を思いっきり下げれば学ぶところは多いし、そうやって読むべきだし、そうやって読まないと何も身につかないように思います。全部この通りにやる必要はないけど、うまく取り入れていきたいな。エクセルはマウスを使うな、とはたまに聞きますが、まあそこまで一度行ってみようか…どうしようか…。