ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』

ミランダ二冊目。朝の通勤電車の中でホロッと来た。人それぞれが持つ偏執的な何かって、最後の最後、その人自身を悲しいまで表してしまうというのがよく分かる。そしてそこに底知れぬコンプレックスや、歴史や、もうどうしようもない憧れとか、そういうものが垣間見えて、なんだろう…もう、生きてりゃそれでいいじゃん、という気になってくる。それを周りがとやかく言うな、と。


少女漫画三冊

たまに、漫画の発売日だとか自分が読みたいタイミングだとかが重なると、一日に何冊か一気読みすることがある。

「3月のライオン」は将棋の話からだいぶ遠ざかっているように見えたけど、将棋のことだけを考えていられ「た」幸せというのを零くんもそろそろかみしめているんだろう。パーティションされていないので考え始めるとみんな一斉に回り出す……と例えが絶妙で声を出して笑った。本当に、そういうところってあるよな、若いころって。だから恋愛すると、世界が変わって見えたりするんだ。もう、世界が変わって見えたりすることなんて、ないんだろうけど。

「太陽〜」は、嫁さんは好きらしいんだが、ぼくはあまりピンとこない。なんか劣化版テラスハウスという感じ。地味な主人公の意外な側面というのも、作者は好んで描く設定だけど、ちょっと共感にかけるかな〜、個人的には。

「G線〜」こそ地味ながら読んでいて胸がキュンキュンしてしまう。男の片思いを描いているからだろうか。ダメだとわかっているのにね。学生と社会人と主婦が一堂に会する少女漫画ってなかなかないと思う。そういう意味でも、風通しの良い作品。学生だけの世界のいざこざとか、社会人同士の優劣を競う世界とか、女同士の主婦/仕事論争とか、いろいろな二項対立がこの世の中には存在するけれど、現実の生きて、暮らしている限りにおいて、そんなに単純化できたもんじゃないんだよな、世界は、ということを大げさだけど考えたりする漫画です。


村上春樹『職業としての小説家』

うーむ、特段目新しい話は載っていなかった。この作者が「自分語り」をするのは、講談社の全集の月報くらいかと思っていたけれど、最近のインタビュー集なんかも見れば、結構同じことを何度もいろいろなところで言っているんだよね。その点はまあ、「あとがき」で自らも言っているのでいいんだけど、いかんせん、「教育」についてとか言い出しちゃうと、別に村上春樹に求めているものはそういうことじゃないんだよなあ……と、げんなりしてしまう。あなたの個性自慢はもう聞き飽きましたよ、というやや胃もたれ感は否めないし、こういう人間に接していて「いらいら」してしまうのは多分ぼくのほうなので。なんとなくパターン化しちゃってるよね。優等生の拡大解釈した不良自慢をでっち上げて、あえて不道徳的立場から社会的・政治的発言をしてしまうのって、すごく脇が甘いと思うし、やめればいいのに、とも思う。

そして、なによりもかによりも、ぼくは小説を読みたいのです。


翁邦雄『日本銀行』

たぶん、人は一生のうち一度は「日本銀行」について知らなければならない時がやってくる。

各国の中央銀行の歴史を紐解きながら、日本銀行の基本的な役割や、今現在の課題(「安定的な」インフレ率2%)まで言及。金融政策は、その国の国民感情、もっとはっきり言ってしまえば「トラウマ体験」によって変わってくるし、同じ政策を打ち出したとしても、自己実現の予言の法則とも相まって、結果が変わってくる、というのは面白い。


増田弥生『リーダーは自然体』

聞き書きの部分は良かったんだけど、最後の最後で「ちきりん」臭がむんむんと漂ってきた。でも「自然体」というのはほんとうに大事なことだと思った。この本は、瀬谷ルミ子さんがおすすめ本として紹介していたので手に取ったんだけど、瀬谷さんもやっぱり、周りから見るとすごいこと、意識の高いことをやっているように見えて、実は彼女自身はアタリマエのこととして、困っている人に手を差し伸べているだけなのだ。テレビに出た時に「休みの日は何をしているのか?」と問われて「ゲームとか…」と答えるくだりがカットされたと言っていたけれど、いろいろと象徴している。周りが騒ぎ過ぎなんだよ。リーダーとか、そういうのはとりあえずおいておいて、自然体でいかに仕事をするかっていうのは、社風による風圧も多分にある。でも、少なくとも自分が朝会社に来て「おはよう」という声の聞こえる範囲には、自然体で仕事をする空気を漂わせていたい。そういうことなら、リーダーでありたいよね。

今日も今日とて打ちっぱなし。ちょっとうまく行くとそのやり方に固執して逆にうまく行かなくなる。これもまたひとつの自然体の探求。


2015-09-06

恐怖のゴルフコンペが発動されたので、小雨の中練習に行ってきた。引っ越したので、今までとは別のところ。初めてのところだったけど、日曜の午後ともあっては一番混んでいる時間で、ロビーで30分くらい待つ。待っている間、テレビではフジサンケイクラシックのちょうど最後のところをやっていて、みんな川村選手のパターが外れてしまった瞬間ため息が漏れていた。テレビでゴルフを見るのも、昔は何が面白いのか全くわからなかったけど、なんとなくわかるようにはなってきた。打ちっぱなしは、半年前にいろいろ言われたことを思い出しながら7Iをぶんぶん振り回してなんとなく感覚を思い出したところで切り上げた。片道20分の歩きはキツイけど、値段の割に球数が多いのでいい運動と節約になる。

あと、あまりにyosemiteの調子が悪いので全部クリーンインストールした。ぼくのパソコンはsnow leopardが標準なんだけど、DVDロムで入れなおして、そのあと(マーベリクスを経ずに)yosemiteにアップグレードしたらけっこう安定するようになった。いかんせん熱は半端ないけど。とりあえずテキストエディタで小説を書くだけなので大きな支障はないが、不安定なのは保存に失敗するリスクが大きすぎるのでなんとかしてほしいよ、まったく。


中野円佳『「育休世代」のジレンマ』

を読みました。

著者は私とほぼ同世代です……というか、井上円佳さんですよね。それこそ学生時代、よく彼女のブログを読んで感心していました。直接キャンパスでお目にかかったことはありませんが、なんとなく存在は知っていました。新聞社に入るような人はやっぱり考えることが一味違うなと、いい意味でその目線の高さに刺激を受けていました。ブログはしばらくして閉鎖されてしまいましたが、更新を追っていた日々の感動は今でも胸の底に響いています。なので「1ファン」としては満を持してといいますが、そのプロフィールを見るにつけ、そのあとがきを見るにつけ、パワーアップして確実に、社会に響く、あるいはぼくたちが響かせなければならない一石を投じてきたと、個人的には興奮が隠せません。

加えて、ぼく自身が、一歳になんなんとする子供がいるということ、あるいはこの夏に会社で経験したいろいろなことの整理をしたいということもあって、この「女性総合職」の問題は、本当に我が事としていま、考え続けていることです。なによりも、この「女性/総合職」という言葉が自己矛盾をはらんでいるかのような現状が、少しずつでも打破できている、制度面や人々の意識の中で――そうであっても、いざ例えば自分の部下が妊娠したらとか、「女性が働きやすい会社なのか?」と問われた時に自分はどういう言葉を持ち合わせているのか? とか考え始めるととたんに保守的になるというのもこれまた現実ではある。

本書の中では「ケア」の責任の所在が、重要なキーワードとして出てきます。

企業が、ケア責任を抱えず、何時まででも働くことができる標準化された労働者を求める中では、いかに男性と同等の考え方ができ、標準化された労働者に近づけるかの競争が起こる。そこでは、ケア責任を抱えていることはハンディにしかならない。

これは子供に限った話ではなくて、親の介護にために定時に帰らなくちゃならない、いや定時ならまだしも突発事故が起きて昼間に突然帰らなくちゃならないことだって起こりうる。そういうことをなぜある特定の集団にしか可能性を認めないのだろうか? これは男性側にだって絶対に起こる話しだし、それが起きていないということは会社の外で誰かがその責任を押し付けられているということにしかならない。それは会社からしたら直接に社員の問題ではないから、目に見えなくなっているんだけど、じゃあ誰か男性社員の親が認知症で、その妻がひたすら面倒を見て、その社員自身は朝から晩までは会社で働いて偉くなっていって……という構図が、形を変えて常態化しているこの社会で、会社はどこまで責任を持てるのか? 少なくとも、「ケア」の負担をもっともっと分担しようよ! 分担できる働き方に、男も女もしていこうよ! というのは本当に感じる。

単純に、夫婦共働きで子供を保育園にあずけるなら、週の半分は総合職の男性であっても定時に帰れることが可能なのか? それを推奨する職場の雰囲気があるのか? そして幸いにも、「子供」という最強の「言い訳」が通じる職場だったとしても、独身男性や、結婚しても子供のいない社員に「ケア負担」の裏返しがシワ寄っていないか? あるいはそういう社員にも、同じように「ただ、なんとなく、週の半分は定時に帰って好きなことができる」雰囲気があるのか? それを許せるか? 許せるかじゃない、推奨できるか? 新入社員がそういう生活していていらいらする上司じゃないか? ……考えるだけで気が遠くなるような話です。

女性の側の問題もほんとうに難しい。結局、24時間戦えるサラリーマンを「標準」に据えたところでは、産むということも含めて「ケア責任」は「リスク」としてしか見なされない。「女性」が「総合職」として戦うには、(本書にも書いてありますが)、自らの女性性を否定して「リスク」として見なす立場に自分を荷担すること。そうして、二十代はあっという間に過ぎます、「男」のように働いて。そしてそういう女性が、「我社では女性総合職が活躍しています」なんて紹介されたところで、本人にしたらいまさらなんのこっちゃでしかないだろう。突然押し付けられる「女性性」に戸惑うしかないだろう。だから、ジレンマ、あるいは逆説的に、女性が長く働くには、女性性を最大限に活用するしかない、というのが現状で、そういう現状をよしとするのであれば、話は戻るけど、いつまでたっても「女性/総合職」は語義矛盾を抱えたままなのだ。

いや本当にこれは、一部の特定の問題ではなくて、本当に共有されなくちゃいけない問題だと思う。みんなそれぞれいろいろな事情を多かれ少れ抱えているんだから、「ケア責任」を誰かに押し付けては、自分だけ一人休日出勤を謳歌して、フレックスで出社してくる新入社員に「たるんでる」「仕事なめてる」とか言っているような腐りに腐った奴らを一人でも改心させたい。それがダメでも、ぼくたち「育休世代」が、40代、50代になった時に、まずば自分の務めている会社が、まともな会社になっているように今からできることを考えていかなくちゃいけない。


浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』3

プンプンが、具象と抽象との間での遊びだったとしたら、『デデデ』は徹底した具象。リアリズムへのこだわりなんだろうな。見えない空気を、あえてベタな展開でも、まずは言葉にしてみる。紙に印刷されたそれは、そうして初めて論じる対象となる。まずそこまでこの3.11後の世界と徹底的に向き合っている作家の姿が、潔くて、ものすごいことだと思う。不安は宙を待っている、いや、それは本当に空を覆っているのだ。そして着色されれば、それは見えるものとなるのだ。随所にこだわりを感じる。やがて消えゆく空気ではなくて、それを押しとどめて、たぶん、絵を描くにはすごく時間が掛かるのだろうけれど、ページを開いて読めるものにしている。そこにまず驚かなくちゃいけない。


山川あいじ『Stand Up!』3

出ているのを完全に忘れていた。犬居くんの物語にしたらいいのに! 少女漫画で男子の片思いを描くのは革命的だと思うぞ!
それにしても12話は締め切りに追われていたのか……ページがすごい白いし、線描のままだけど効果なのかな??

→気になって検索してたら2chでも話題になってた。どうも作者急病で休載の直前らしい。
 復帰してまた新しい話を読ませて欲しいです…。