保坂和志『カンバセーション・ピース』

を、読みました。こちらも大学時代以来なので10年以上ぶりの再読。
今となっては保坂和志を語る上で外すことの出来ない代表作ですね。前に読んだ時は、野球場の話が唐突過ぎてよくわからなかっただけれど、今読み返すと、結局は「その場をその場たらしめているのは何なのか?」という共通のテーマに貫かれているんですね。

なぜ野球場に選手がいて、試合をして、それを見ている観客が集まると、その場所は野球場になる。でも、同じ構成要素が集まったとしてもローズかいる、いないで、まるで魂の所在が変わってくる。

家も一緒で、家族でない誰かも含めてそこに集まると、それが「家」になるのはなぜなのか? そうならない場合だってたくさんある。けれど、この小説の主人公はやはり「家」なのだ。たくさんのおしゃべりがページをまたいで縦横無尽に展開される。その合間を縫うようにして庭とはなんなのか、見るというのはどういうことなのか、幽霊とは何なのか、といった様々な思索が繰り出される。特に後半の熱を出して寝込みながらも階下の会話が聞こえてくる間の思索は、この小説の本当に一番美しい部分だと思う。

もうぼくたちは抽象概念でいいのではないか? だれか神様のような存在が、何かを表現しようとしている。それが家にやどり、野球場にやどり、人々が集う。そこで一体何が起きているのか? なにが生まれているのか?


堀江敏幸『おぱらばん』

再読。

30年以上生きてきて、パリに滞在したことなど新婚旅行での二、三日にすぎないのだけれど、本書に出てくる光景はある部分ではその何時間かの滞在で目に焼き付けた様々なモノ・コトを材料にして、例えばふと通りがかった路地の入口からその奥になにがあるのかを想像するようにして、文字によって立ち上がる清冽なパリの空気を呼吸できる。

これは小説か? 出来損ないの学術論文か? あるいは須賀にも通ずるある種のエッセイ、百歩譲って私小説か。そんな疑問はことごとく愚問に思えてくる。そんなカテゴライズはどうでもいい。ただ、読む。読むことで、頭のなかで映像が浮かび、本の中の本を読み、次の読書や映画へとつながっていく。小説の役目を遥かに超えているし、エッセイの役目もはるかに超えている。この作者にしかなしえないまさに言葉の正しい意味での「文の芸=文芸」に酔いしれる。

読書とはこういうものだし、だからこそ堀江敏幸の「作品」はその全てに目を通したくなる。

そして、今日33歳になりました。
相変わらず、本を読み、文章を書くことを生活の一部とする人生を送って行きたい。
あっと驚いて寝食を忘れるほどのめり込む作品と出合うことはほとんど無くなりました。そういう「火花」の散る感動を経験するほど心が若くなくなったのかもしれません。だからこそ、じっくりと、大江の言うように、平野の言うように、かつて読んた本をじっくりと読み返したい。それを読んでいたときの若い自分を思い出しながら、一味も二味も違う読書体験で上書きしていきたい。これからも、ずっと。


よしもとばなな『みずうみ』

を、読みました。10年ぶりに再読。

よしもとばななとしては『ハネムーン』で描きたかったことを10年越しでようやく、蓄えた作家としての力量を遺憾なく発揮して完成させた代表作と言っていいでしょう。中島くんが自分の生い立ちについてようやく口を開いてからは、なんとくなく涙腺が緩んできます。それは、本当に作者がこのモチーフを大事に大事にして、どうしてもやっぱりこれを描きたかったんだ、という気持ちがすごく伝わってくるからです。

良くも悪くもない、ただあの光景は永遠に同じ質量でここに、僕の中にある、そういうことだと思う。朝日のピンクは夕陽のピンクよりもなんとなく明るく見える気がするとか、気分が沈んでいると景色も暗く見えるとか、そういう感覚的なフィルターはあることはあるけれど、そこに実際にあるものは変わらない。ただ、そういうことがあったというだけだ。

この凛々しさ! この清々しさ!


村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』

を、読みました。再読。

やはり一貫してポリフォニックな小説を目指していることを繰り返し述べています。村上春樹といえばお得意の「僕」による一人称の語りが特徴的ですが、著者としてはやはり三人称へチャレンジしたい、そしてそれが氏の言う「総合小説」へのアプローチなんでしょうね。なんだか『暗夜行路』みたいですが。

たまには分厚い岩波赤を読みたいですね。


浜辺陽一郎『会社法はこれでいいのか』

ということでようやく、概要書から解釈本へとたどり着く。この本は会社法成立の過程にも色々と発言を行った人のようなのですが、いろいろ裏事情も踏まえて批判を加えつつも、後半半分以上使って「プラス思考で会社法を読む」とか、成立してしまった以上は使いこなしていこうという姿勢を持って執筆してくれているので、たんなるボヤキに終わらずに済んだ。これからまたもう一度岩波新書に戻ったら少しは頭もしゃっきりするはず…だよね??