よしもとばなな『海のふた』

伊豆ものであり、店もの。店ものはたまにあるけど、結局は作者の創作に対する一つのマニフェストになっている。小説自体が。テーマは『王国』と同じ。これはかき氷屋だけど、王国のお茶屋さんと、言われてみれば建て付けは一緒。そういうものを書くということが一つの、確認行為であり、高らかな宣言なんだろうな。日記を読んだ上で読むと、なんとなく奥行きを改めて感じられる作品です。小説としてはたぶん、あまり、うまくないんでしょうけどね。でも、この文庫のアマゾンの書評群にはなんとなく独特の熱があります。読むとなにかフィジカルに、何かをしたくなるような、人を動かすチカラがあるのは確か。


ゴルフ結果

そういえば土曜日のラウンドは148打でした。
朝から職場の先輩にしごかれ、またグリップも少し短めに持ったおかげでドライバーもけっこう飛びました。
あくまで手打ちですが……。相変わらず興味のわかないスポーツですが、去年よりは良くなったのと、多少はコツのようなものがホノ見えてきています。

まあしかしこれでしばらくゴルフについて考えなくてよい日々に戻れるのでほっと一安心です。

やれやれ……。


よしもとばなな『バナタイム』

結婚〜妊娠発覚前後の出来事を中心に雑誌「GINZA」に連載したエッセイ集です。なんとなく、吉本らしくない緊張感がみなぎっています。日記編を読んだ身としてはお馴染みのエピソードが満載ですが、やはり結婚直前のごたごたが答えているようですが……日記のおちゃらけた感じは、あれはあれで立派な創作なんだなと感じます。

最後の回で自分が死を描くことについても触れています。ただ、それは結局死んでいく人そのものや死そのものと向き合って描くというのではなく、あくまでも死によって残された人びとの懸命な姿を描くことに彼女の焦点はあるのだということです。これは確かに『キッチン』以来そうなんだよなあ。それは本当に、ずっとぼくも彼女の作品を読み続けている中で感じることです。


河合隼雄・吉本ばなな『なるほどの対話』

これは昔、買ったんだけれどあまりに面白くなくて途中でやめて本棚に眠っていた文庫本です。新潮文庫からは河合隼雄の対談ものがいくつか出ていますが、やはり村上春樹との対談が抜群に面白く、どうしてもあれを基準にしてしまうと、ずいぶんと物足りなさは感じる。三十代問題もあまり収穫なし。ううむ。


吉本ばなな『ひな菊の人生』

時間軸があっちゃこっちゃいくので読みづらい。が、筆者としてはなにか新しいことを試みようとしたというのは確かだ。少なくとも、この本は、文章が独立してあるのではなく、奈良美智の絵があってこそ、この小説は生まれた。

だから、絵のような小説、とでも言うべきか。それは、一枚一枚が「印象的」である必要がある。ぱっと見て、「あっ」と心の奥底に届く。あの、足の長い宇宙に浮かんだベッドに眠るダリアの姿のように。絵は、瞬間が勝負だ。動かないから。小説はでも、時間をかけて読まなければならない。この小説は、絵が小説に寄り添い、小説が絵に寄り添おうとするそのギリギリ重なる世界を、うまく読む者・見る者に開陳してくれる。

ポニーテール(トックリラン) 中鉢(8号)

ノリナってこれね。


よしもとばなな『デッドエンドの思い出』

この本の感想を書くのは実は二回目。最初に買って読んだのは、2004年の暮れ。ちょうど卒論で吉本と格闘していて、脱稿したあと、何かを確かめるように買ったのでした。そして学生生活最後の冬休みを、祖父母の家のこたつの中でテレビを見ながら、そしてカーペットの上で寝ている野良猫を撫でながら、横になってちびちびと読んでいたのをよく憶えています。本当に、昨日のよう。その後すぐ、学校が始まってから卒論は製本に持って行って、無事に提出しました。提出したあとタバコを吸いに行ったら、友だちがいて、「出したよ!出したよ!」とか言い合ってなんだかはしゃいだのを覚えています。それは、なんだかこれで学生生活が終わりなんだな、という一抹の寂しさを打ち消すかのようなはしゃぎ方でした。

そういう時にふさわしい小説だったかもしれません。

とにかく、あと一手間、が素晴らしくさえ切っている短編集です。ここで終わるのかな? というところから、もう少しだけ続きがある。そしてその続き部分がびしっと一編の小説としての完成度を高めてくれているのです。特に表題の「デッドエンドの思い出」と「『おかあさーん!』」が素晴らしい。

読書はいいもんですね。再読だけが読書です。本は良い。本は、本棚でじっと待っていてくれる。何年でも、十年でも。


よしもとばなな『引っこしはつらいよ』

愛犬が亡くなって、40歳を迎える年です。誕生日が七月なので、後半は本来的には読む必要が無いのですが、とりあえず。

でも、40歳の誕生日の記述は淡々としていますね。いざその日になって心境がガラリと変わることはないんでしょうが、じわりじわりと効いてくるものなのかもしれません。

Q&Aで、「high and dry」の設定を十四歳の女の子にしたのは、親というものが重要な最後の時期だからと答えている。こういうことをさらっと言えるところが、三十代ならでは。

一度、作品に出てくる登場人物の年齢早見表でも作ってみようか? そうすると、なにか作者の年齢との相関関係が見えてきて面白いかもしれない!


最後の練習

今日もメタメタ。なにかが決定的におかしい…。わからない…。

とりあえず体幹を動かさないこと、構えの状態にインパクトの際、もう一度「戻る」と考える事。なんとなく右向いて〜、左向いて〜と、オーバーな動きになっていた気がする。あとゆるゆるグリップはなんとなく理屈はわかるんだけどどうしても振り遅れる。しっかり握ったほうが手にグリップが付いて来る感じがして、そのほうが当たる。何なんだこれ。こういうのを「手打ち」というのか? で、家に帰ってきてネットを色々見ていて、今更だけどグリップの後ろのほうを握りすぎていたのかもしれないと思い至る。初心者は「短く持つ」のがいいんだって。そりゃそうだ、どう考えても短く持ったほうがいい。しかしそれはもう本番で試すことにしよう。欲を持たないことですね、初心者として。

ああ〜、もうダメだ〜〜。

これなら本番も、去年よりはマシ! という自信くらいつけて行きたかったんだけどなあ〜。

そうか、だから、膝を曲げるっていうのは、短く握るから自然とそうなるんだ。膝がピンとしていると前のめりになるからライ角と手の位置がおかしくなるんだ。しかも長く握っていたらよけいわけのわからない姿勢になる。

本に書いてあるのを読めば「そんなの当たり前だよなあ〜」って思って大したことないように思って読み飛ばしちゃうんだけど、練習場で自分がそれができているかといえばぜんぜんできていないのだ。そしてコーチもつけずに我流でやっていると、できていないことすら気が付かずに球数ばかり浪費することになるのだ。自分のおかしさには自分でしか気がつけないけど、このやり方でよかったのかな〜。やっぱり習ったほうが早かったのかな〜。やれやれ。


よともとばなな『さようなら、ラブ子』

赤ちゃんは順調に成長。
一方で愛犬の死。作品としては『海のふた』のころ。『海のふた』は年配の方からの反響がけっこうあったようだ。
まあ、三十代問題という意味ではさほど収穫のない巻ではあったが、子供の成長というのが日記の占める割合として大きいのはひとつの事実。