吉本ばなな『体は全部知っている』

2000年刊行なので、奈良美智シリーズのけっこう最中。たぶん執筆のタイミングは「結婚」の直前じゃないかと推察されますが、しかしあれだね、タイトルがすべてを語っているね。その後の吉本ばななの一つの方向性が一言で言い表されている、とても良いタイトルだと思う。その最初の一歩なので、確かに結構盛り込み過ぎな短編集です。もう二回くらい読まないとちゃんと消化できなさそう、と、我が体は申していますが…。

なんかにも書いてあったような気もするけど、田所さんなんかは掲載誌である文藝春愁というのをけっこう意識して書かれたんだろうな…。


かつてibookを

かつてibookを使っていた頃にバンドルされていたアップルワークスで作っていたファイルが開けなくなって久しかったものの、どうやらLIBRE OFFICEというマイクロソフト・オフィスのパチもん……と、一昔は言われたのでしょうが、今や立派なオルタナティヴ足りうるフリーソフトで開けるらしいということを知って、休日の午後を古いファイルをUSBから掘り起こしてPDF化しせっせとエバーノートに移し替えた。

しかしあれだね、十年前に書いたものがあたりまえのように残る時代になったんだね。

自分が書いたものもさることながら、当時は気になったブログの記事とかホームページとかの断片を保存して、ワードに移して、印刷して、ファイリングしてよく読んでいました。そういうこともしなくなったなあ。結婚して引っ越しをした時にもう読まないと思って全部捨ててしまったけど、こうやってファイルとして残っているとまた読み返してしまう。十年前の自分が考え悩んでいたこととか、刺激を受けていたこととか、憧れていたものとか、そういうのが生々しく再生されます。

ついこの前のことなのに。ほんとについこの前のことなのに、もうそれは戻ってきません。それって? コンテンツは残っていても、それに感応していた自分とか、そういう自分を取り巻いていた仲間たちとか、仲間たちに口角泡を飛ばして何かを訴え続けていた自分のカッコ悪さとか、カッコ悪さに付き合ってくれたいろんな人の優しさとか、あの空気、あの時の空気はどこに行ってしまったんだ?

昔に戻りたいとももちろん思わないけど、あの頃の一生懸命さで今も生きているかということを確認するための原点は、時によって変わるし、現在の自分のポジションによって、「どん底」や「灰色時代」の時期も定義も意義もころころ変わっていく。それはそれで面白いけど。でも、ああ、やっぱり、「若いころ」というのは確実にあったと、そんなふうに考えるように成ってしまったことをすこし悲しく思う。

このブログのむか~しの記事とか読み返したくもないけど、ちゃんとある。いつぐらいからか、文章も書き慣れてしまい、イイタイコトがなくても空白を埋められるようになってしまった。そしてイイタイコトを伝えたい相手も、すっかりどこかへいなくなってしまった。記憶に向かって、こだまさせて、キーボードを打つことで、なんとなく成り立っているのが、この場所だったりする。

それでいいのか? それでいいのだ、とも言い切れない日曜日の夕方。


吉本ばなな『虹』

世界の旅シリーズはこれで最後。しかし内容はうーーーーーーーーーーん、という感じ。珍しい展開。あと、展開というか語りの構造が懲りすぎていて、何か読みながら何度もつっかえた。そしてこれはタヒチ編のはずなんだが、タヒチにいながら日本のことを思い出している体裁なので、ほとんどタヒチそのものについては触れられていない。これはあんまり世界の旅シリーズとは言いがたい。後年のハワイもののほうがずっといい。あとがきには「一週間の取材で即興的な小説が書ける場所ではないなあ」と正直な感想も述べられていましたので、これはこういうもんなんでしょう。

まあしかし庭の描写、食べ物の話。本当にこの作者は処女作である「キッチン」を何度も何度も何度も書きなおしては新しい小説として提出してくれます。そこが本当に信頼できる作家です。

あといまさらだけど原マスミって男の人だったんですね・・・。


吉本ばなな『不倫と南米』

これは良かった。この「世界の旅シリーズ」三冊目にしてぐんと密度が上がったし、文体も変わった。それまでは行った先の雰囲気に飲まれて、その雰囲気ありきで小説が展開されていたけれど、この南米編は南米そのものをぐっと著者の側に引きつけて、きっちりと消化し、著者のイイタイコトを優先して書かれている。もちろんそれを「スケールが小さくなった」と言う人もあるかもしれない。そういう見方も一つの真実だろうけれど、やはり三冊読んできて、バリ編とエジプト編に比べてぐんとレベルが上がっていると思う。そして作品全体にそこはかとなく漂うさびしさはなんだろう? 不倫をテーマにした故のさびしさなのだろうか? なんとなく、デッドエンド〜にも通ずるものがある。初期の、キッチンやTUGUMIなんかにあったさびしさとはちょっと湿度が違う。なかなか言葉に言い表せないけど、これが著者の中期というか、脂の乗ってきた最初の成果なのではないかと、少し小走りにそう言い切ってしまいたくなる。もう一回どこかで読もう。


2015/01/17

区立の図書館に現代女性作家読本の「よしもとばなな」巻があったので、年譜を見に行ってきた。予想通り刊行本の羅列だけだったけど、ないよりはまし、ということでコピーしてきた。しかしこれ作ってるのどっかの大学の学部生らしいんだが大丈夫かな、色んな意味で。


吉本ばなな『SLY』

世界の旅シリーズ第二弾。エジプト編です。これはHIVポジティブが発覚した男と、その周辺の男女(彼らの検査結果は小説の最後まで明らかにはなりませんでしたが)が、死ぬ前に一度楽しい旅行に行こうということでエジプトに行って、エジプトの持つ死に対する大らかさみたいなものを感じ取って帰ってくる……みたいなあらすじでした。著者は文庫本のあとがきでもいろんな人から失敗作と言われたし、こういう失敗もいいのでは、と書いています。どの辺が失敗と言われたのかよくわからん。まあ、見え見えの筋書きすぎるということなのか。起承転結がはっきりしすぎているということなのか。ラストがとってつけたようだったからか。まあでも見え見えの粗筋って吉本ばななの得意技ですし、むしろこの作家は見え見えの粗筋の中に込めてくるものすごい具体的なモノとモノとのぶつかり合いに読むべきものがあるので、別にそれは失敗とはいえないでしょう。うーん、なんだろ。

ちなみに奥付を見るとタイトルの『SLY』はマッシヴ・アタック(なつかしいな……)の曲から取られたようです。PV見てみましたが、なんか間違ったジャポニズム? という感じ。歌詞も、まあ、なんか幻想的な感じです(孫の顔知ってるぞ、とか千年前の音楽聞いたぞとか、神々の独り言みたいな感じ)。SLYじたいは悪賢しい、という意味のようです。うーん、なんだろ。


吉本ばなな『マリカのソファー/バリ夢日記』

を読ました。

『B級BANANA』には将来書きたいテーマとして多重人格が挙げられていましたが、これがまさにそうでした。これは最初に単行本で刊行された時には『マリカの永い夜』としてこの文庫版の登場人物が関係性の異なるバージョンとして世に出されました。その後、著者の納得のいかなさから人物関係を変えて、本書が成ったということです。「ジュンコ先生」が本当に主治医の先生としてバリ旅行に同行するという体裁だったのが、「ジュンコ先生」は単なる近所の主婦で、マリカが新愛をこめて「先生」と呼んでいるだけという形に変わっているそうです。そうか、それで「先生」が違和感あったんだな。

残念ながらというべきか、併録のバリ旅行記の方が面白すぎた。


2015/01/13

ノイズキャンセリングイヤホンが欲しくてビッカメに行ったら、売り場がめちゃくちゃパワーアップしてて驚いた。スマホ効果でイヤホンとかヘッドホンて全然なくなんない市場だと改めて感じた。欲しいものは高かったからヤマ電で買ったけど。

3000円しなかったのよ。


吉本ばなな『ハネムーン』

再読。

庭の描写から始まるのは、スーザン・ソンタグの「庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます」というあの言葉を別に踏まえているわけはないのですが、まさに同じ意味なのだろうと思いました。

本書の執筆には三年かかったといいます。先の『ハチ公〜』同様に、新興宗教を舞台としていますが、これはそこから離れていく話。そして、あまりこういうことを言ってもしかたがないんですが、オウム事件が起きたのがちょうど執筆の最中だったということで、そういうのも影響しているらしいです。ただ、この作品はその宗教の邪悪な部分を本当にサラリと書いてあるだけで、けっこう読者が後でこのセリフを言っている背景には実はこんなことが……みたいなことをむしろ再読の際には考慮に入れなければならない格好になります。それから、文体も『ハチ公〜』に比べるとけっこうみっちりとしていて、この著者には珍しくきっちり小説っぽく会話を書いているというか、そういう今から考えればばななっぽくない面もあります。なんというか、この人は小説を書こうとしている、というのが伝わってくるような本です。いい意味でも悪い意味でも。とにかく三十代の最初の三年間に集中して書かれたという点で、「文学史」的に一つの記念碑的作品。

個人的には、やっぱり人々(だけでなく生命は)は変化の中にある、というものすごい達観が、よく現れていて好きな作品です。

何かが治ってゆく過程というのは、見ていて楽しい。季節が変わるのに似ている。季節は、決してよりよく変わったりしない。ただ成り行きみたいに、葉が落ちたり茂ったり、空が青くなったり高くなったりするだけだ。そういうのに似ている、この世の終わりかと思うくらいに気分が悪くて、その状態が少しずつ変わっていく時、別にいいことが起こっているわけではないのに、なにかの偉大な力を感じる。

あと、メモ的だけどばななの作品に骨が出てきたらそれは本当に骨で、記号じゃないんですよね。それがけっこうストレートに感じる作品でもあります。

こことか、参考になりました。